二十代の終わりから数年間、葉山にあるワークショップに通っていた。ふら〜と参加してしまったが最後、やがて師匠となる、美術作家の故・永井宏(ながい・ひろし)さんのアトリエでおこなわれていたワークショップ。月に一度集まって、皆で詩や文章を書いて朗読し、互いの作品を批評し合う会。ワークショップは楽しかった。実際には通うことそのものが楽しかった。平日の朝に心置きなく波乗りが出来たし、その後134号線をドライブしながら葉山まで向かう、という時間そのものが。
ワークショップは真面目な時間の前後こそが楽しくて、そこがワークショップの真骨頂だった。レコードを聴いたり、誰かがコーヒーを淹れたり、帰りにごはんを食べにいったり。みんな暇人だったから、部活みたいな感じだった。先生のことを先生だと思ったことはあまりなく、先生は『センセー』で、どこかふざけたニュアンスだった。もちろん尊敬していた。尊敬していたはずなのだが、時々ムカついて言い返したり、違うと思ったことは、『センセー、それは違うと思います』みたいなスタンスで応戦していた。
センセーと呑んだ思い出はいくつもある。飲むと顔が赤くなって、茹で蛸のようになるセンセー。一度、野毛にある串揚げ屋で呑んだときは、恋についてとか、勝負パンツの大切さなどの話題で盛り上がった。その後『DOWN BEAT』というJAZZ BARにはしごして、ご機嫌になった帰り道、「生きているっていうのは、死に向かっているからただでさえつらかったり、暗かったりするんだよ。だから楽しいことをしたり、作ったりするんだよ。笑いはクリエイティブなんだよ」とセンセーはいった。その頃のわたしはまだまだ若くて、親も元気だし、仕事もお金もそこそこあるし、なんの責任もなくて自由だった。身近な人が亡くなるなんてことも、年老いた祖父母くらい。そこから何年も経ったが、他はあまり経験がなかった。辛いこと? えーっと、過去の失恋とか? くらいの年頃だったのだ。今なら師匠が言っていた意味がわかりすぎるくらいに、つらい経験も、悲しい別れも、歳も重ねた。
いつもいつも、本当にいつも思うことは、なんでも笑いに変えていきたいということ。昨日も、鎌倉でご飯屋を営むMちゃんと時をともにしていたのだが、そんなことを思いながらたくさん笑った。Mちゃんとも、永井さんのワークショップで出会った仲間の一人。鎌倉が好きでひとり関西からやってきて、「お店をやりたい」といって本当にお店を初めて、もうすぐ12年になる。信じられないくらいの努力家で頑張り屋だけど、一見あまりわからない。素敵な大人女子に見えるが、中身はお笑い芸人並みのハイスペック(よしもとクリエイティブエージェンシーに転職しないのかとずっと勧めている)。ほとんどの人は、外側しか見ない。憶測でイメージが先行するけれど、ねえ、ちょっと待ってよ。そんなはずはないのだ。いつも楽しそうだって? それよりあんたどこの誰、笑わせんなよって鼻で笑いたくなる。「なんでそんなに笑い上戸なの?」、「なんで笑うと泣くの?」とよく言われるが、まあこれは父譲りで遺伝なんです。笑うと目から水が出るのは家族皆がそうで、涙を拭うタイミングも大体一緒。
出来るだけ、ずっと笑っていたいのだ。おもしろいことを、いつでも探していたい。悲しいこと、辛いこと、笑えないことが、世の中には多すぎる。笑いのクリエイティビティを爆発させたい。なによりも、優しい人でいたい。自分一人だけじゃなくて、そばにいる人も一緒に巻き込んで、腹を抱えて笑って、泣いていたい。いつもわたしが思っていることは、例えばそんなこと。