こどもの頃、夏休みが大好きだった。7月20日になると、通信簿を見せるまもなく母を筆頭に浜松町駅へ。高田馬場から浜松町は山手線を半周くらいぐるっと乗る。新宿、渋谷、目黒、品川とかもぜんぶやり過ごして。その先は東京モノレールに乗り換えて、羽田空港へ向かい、飛行機に飛び乗る。8月30日くらいまで、目一杯鹿児島(母の実家)の海で遊び、東京へ戻る。そんな夏を繰り返していたからだ。母は全力になって子どもと遊ぶ人だったから『夏を楽しんでいるママ』、こども時代のわたしはそう思っていたけれど、ほんとうのほんとうはどうだったのだろう。
自分が母になり、大好きな夏を過ごすことは楽しいが、歳をとったのか気候が変わったのか、年々夏が辛い。もっと言うと、娘が保育園児から小学生になり、「夏休み」が「あー夏休み」になった。中でも、学童をやめた3年生と4年生くらいが一番きつかった。そういうことをおもう自分が嫌で、そのタイミングでぐっと仕事量を減らした。収入は減ったが、「こんな時間は今しかないだろうな」、と思ったからだ。仕事はまってくれても、成長は待ったなし。
娘は今年小学5年生、秋には11歳。親とも遊ぶが、友達とも遊ぶ。たまには一人でゆっくりしたい。そんな過ごし方になったので、わたしも仕事量を増やせたし、いっときよりは随分と夏が楽しくなり、すかさず出歩いては羽を伸ばしている(伸ばし過ぎて家族に冷たくされることも多々)。
今はタイパンツ展の真っ只中で、追加納品のための製作に時間を割きたいところ。けれど、娘の友達がやってきたり、お泊まり会をしたいだとか、いろいろな案件が急にカットインする。その対応に、いや、来た波に、出来るだけ乗っていこうと波乗りの練習中。楽しそうにしている10歳のガールズが純粋にかわいいし、互いに光を放ちあって、スパークしている。そういう笑顔を、わたしもきっと振りまいていたのだろう。母の愛情や理解、犠牲にしてくれたかもしれない母の時間のもとにうまれた、いくつもの光。

昨日は朝イチで、由比ヶ浜の『TALE』で開催していた富山のセレクトショップ、『HYUTTE(ヒュッテ)』さんのポップアップへ行ってきた。一度行ってみたいと思っているお店なので、嬉しくて爆買いしてしまった。めちゃくちゃ仕事をがんばっているし、ご褒美多めで。ささーっと買い物をして、妙蓮寺に向かう。店番二時間一本勝負の間に、タイパンツが3本、著書のSunny Sideが1冊巣立っていった。嬉しい。壁がスカスカで寂しい感じなので、また縫わないと。
鎌倉に戻ってからは『BLANDIN』の宮治ファミリーと『カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ』でパフェを食べる。元々は店主のひろみさんと二人で会う予定だったのだが、ご主人も、やっぱりお嬢様もと、それぞれの出先からやってきてくれた。お嬢様にお会いするのは二度目だが、伸びやかな自由を心と体いっぱいに持っているような、それが溢れ出ているようなチャーミングな女性で、ちょっと日本人に少ない感じというか。幼少期にLAで育ったことも、きっと大きく関係している気がする。存在から、大地の広がりのようなものを感じる人。パパとも、ママとも、どこかが少し違う。宮治ファミリーを眺めながら、10年後、いや20年後の自分達を見ているような気がした。そうだといいなと思った。「そのパフェちょっとちょうだい」とか言いながら、パパのパフェをつついたりしているお嬢さん。子どものように一番こぼして食べているのはお父さん、ビーナスみたいなひろみさん。こんな家族が理想だなと、眺める。宮治パパは音楽業界の重鎮だとおもうが、そういう振る舞いや発言がどこを探しても見当たらない。うまいものを出す、気のいい肉屋のおじさんみたいな感じ。大好きだ。みたらし団子が好物だと知っていたが、パフェも好きだということが昨日新たに分かった。甘党なんですね。
本物に会うたび思うけれど、彼らはいつでも爪を隠している。メディアにもたくさんは出てこない人が多い気がする。選んでいるのだろうか。少なくとも、わたしの周りの先輩、レジェンドたちは皆がそう。花壇のボランティアのおばあちゃん達もそう。母もそう。そういう人から、自分は何を学べるか。そして、何を継承できるのか。そんなことを思った、暑い暑い、夏の一日。