DAILY by LONG TRACK FOODS の馬詰佳香(うまづめ・かこ)さんのことを、本人に向かって「先輩」と呼んだことはないが、人生の先輩だとおもっていることは確か。当時わたしが28歳、最初に出会った馬詰さんと何故だったかサーフィンの話になったとき、馬詰さんが「40過ぎてから波乗りをはじめたから…」というのを聞いて「え!40過ぎてるんですか!?」と聞き返したことだけは強烈に覚えている。28歳にとって40代はかなりの大人だったし、その時の馬詰さんはとても若々しく、実年齢と目の前の本人とのギャップにかなり驚いたのであった。20代は、30歳はおばさんだと思いがちで、40歳なんて日がまさか自分にやってくることを想像するのすら至難の業なのだ。女の子なんだもの。
その頃のわたしと夫は、七里ヶ浜のフリーマーケットでそれぞれが作ったものを販売しはじめたばかりだった。夫は切り絵、わたしは布こもの。若かったから、とにかくうるさい大人がおおく、イラっとしたり、傷ついたり、落ち込んだりすることも少なくなかった。わたしに関しては、「布地と糸色が同じじゃないなんて変だ」とか注意された。そのカラーリングがおもしろいのに、と思っていたけれど、常識を知らない若者だと思われのだろう。夫に関しては「〇〇って画家も知らないの?」とか、会社員をしながら切り絵を売っていたことを「二足の草鞋なんて本気じゃない」みたいなことも言われた。フリーマーケットの店頭に立っていたのはいつでもわたしだったから返事に困っていると、夫が車から出てきて「嫌ならかえってくれよ」と言った。そうすると、たいてい彼ら、彼女らは踵(きびす)を返してさっと消えるのだった。ちいさくて人当たりもわるくないわたしのようなものには強く、おおきくて強面の夫には言わない。そういうことを若いうちに知って、「こんな大人にだけはならないぞ!」と若いわたしは思ったわけである。過ぎてしまえばすべての彼らにも、ちっぽけなありがとうくらいは贈れる。悪役で出てきてくれたのね、と。人生は舞台、悪役は上手(かみて)から下手(しもて)へと幕の中へ消えていく。「どうぞおげんきで、さようなら」と手を振って仕舞えば、もうおしまい。
そんな時代の時だったから、「わたしなんて何足も草鞋ぬいだりはいたりしてる!」と口に手を当てて笑って話す馬詰さんの存在は特別にみえた。そのころのわたしは都内の外資系企業にいた。セールスアンドオペレーションというチームで、数字やデータと睨めっこ。週5日きっちり働くOLだったし、つまらなかったけれど辞めるつもりもなかった。だからこそ「こんな働きかたもあるんだ」と、旅先で遠くの空を眺めるような気持ちでいた。あれから何十年(綾小路きみまろ)、じぶんも同じような働き方をすると、あの頃のわたしは1ミリも想像しておらず、一番びっくりしているのはこのわたしだ。
昨日も馬詰さんとあれこれ打ち合わせの朝。質問されると提案もできるし、包みかくさずなんでも話ができる、同じだけ聞くこともできる。ずいぶんと長い時間が経って、挑戦させてもらったこと、頼まれたこと、断ったのにまた頼まれたこと、その全部を、自分なりにではあるが100%がんばったと言い切れる。そうやって積み重ねたものをきっと、永遠と呼ぶ。最近ではなんでもはなせるおねえちゃんのような存在。おねえちゃんは、ときどきおっちょこちょいで、強い南風のような勢いがあったかと思えば、足をとめてこまった顔をしていたりする。ほんとうのおねえちゃんがふたりいるわたしだけれど、おねえちゃんというのはいい。妹に無条件にやさしいし、わたしもおねえちゃんたちがだいすき。ねえ、ずっと元気でいてよね。