週末、人生初の狂言をみに国立能楽堂へ。和光高校の同級生で、能楽師・山本則重(やまもと・のりしげ)くんの舞台。当時クラスは違ったが選択授業が一緒で、ユニークなキャラクターが際立ったいたのでとても印象的な人だった。その授業が「舞踊研究」というクラスだったこともあり、人一倍キレのよい舞(まい)を徐々に加速させてクラスの笑いをかっさらっていく、とにかくおもしろい人だった。当時は「能か狂言かのおうちの人らしい」くらいしか記憶していなかった。今回、彼の狂言を拝見してものすごい家系の人だったんだと、30年越しにようやく理解できた。当時は「いしちゃん(あだ名)、キレがあるー!」なんてゲラゲラ笑っていたが、当たり前であった。無知のこわさ。
簡単に言葉にはできないが、会わなかったこの三十年の間に(もっというとちいさな頃からずっと)どれだけの修行や鍛錬をかさねてきたのだろう。伝統芸能を継承していく重圧など、想像すらできないけれど、とにかくその堂々とした姿には、ただただ圧倒された。目を細めたのはご子息とその従姉妹にあたる男の子三人だけの初舞台。お顔がそっくりの、ちいさないしちゃんがそこにいた。パンフレットには、高見(こうけん)という名でいしちゃんの名前が記載されていた通り、その舞台では、いしちゃんが後ろの方でじっと正座をして見守っていた。どんな気持ちなんだろう。
会場にはプロのカメラマンが撮影ではいっていて、そのカメラマンも同級生の平瀬拓(ひらせ・たく)くんだった。平瀬くんとは地元が近い。お互いに高校から入ったこともあり(和光は内部進学の子がおおい)、潮の流れといったらいいか、なんとなく人生の漂(ただよ)いがちかい人なのかなと、記憶にしっかり残っていた。都心からわざわざ遠くの和光高校を選んで通う、そういう人は多くはなかったから。覚えているかなあと思いながら挨拶をしたら、ちゃんと覚えていてくれていた。わたしがタイパンツを縫っていることも、なんとなく知ってくれていた。おおきな体で物腰がやわらかくて、きっと一度一緒に仕事をしたら「またこの人に」と思われるだろうなと、そんな雰囲気をまとっていた。写真の世界で食べていること、素晴らしい。平坦な道ではなかったはず。
最後に「おはなし」という時間が設けらていたのだが、それが本当に愉快な時間だった。さっきまで圧倒的な存在感だった彼が、ふつうのいしちゃんに戻っていた。話はもちろんおもしろいし、愛嬌の良さも相変わらずで、観客の惹きつけ方がさすがだった。心から尊敬したのはその言葉づかいの美しさと所作。「見守っていただく」は使ったことがあったが「お見守りいただく」なんて言葉をさらっと口にする、そういう世界に身を置いているんだなと、改めて。扇子の扱いもなんともうつくしかった。タイパンツ作家としては、いしちゃんが身に纏っているすべての布を近くで見たい!と思うような、遠くから見てもわかる上質なものだった。触ってみたい。公演のあと、同級生みんなでわいわい記念撮影などをして、「あらあ、すてきな大人になって〜」と言い合っては笑い「傷の舐め合い的な?」とか言うからさらに爆笑。主役を遮ってセンターで手を広げて映る者もいて、最高だった。「ずっと続ける」、その言葉の意味を全身全霊でみせてくれたいしちゃんこと、能楽師・山本則重さん、ありがとう。感動した!