母に会いに東京へ。最後にあったのがいつだったか思い出せないくらい、ご無沙汰の母。足を運べていないので気になってはいたが、こどもが溌剌(はつらつ)としていることをよろこぶ母なので、会えずにいた罪悪感はない。
近況をはなす。海の家でアルバイトをしていることに加え、縫製の仕事、思い入れのある壊れたものの修理をしたりもしているんだよとはなすと、「きっと軌道に乗るわよ」と母が言った。母が直感で感じたことを口に出すときのスピード感は、ふだんのんびりでおっとりしている口調とははっきりと違い、ややかぶせ気味くらいに言う。まっすぐな瞳で。昨日もそうだったので、「そうなのかな、ママがそう言うならそうなのかもしれない」と思わずにはいられかなった。母が贈ってくれた言葉は、宝物のように思えた。大切にとっておいて、いつの日か実現させたい。母とわたしの約束のような宝物を、胸の中の箱にしまう。そっと。
『軌道』と辞書で調べると「物体などが一定の力の作用を受けて運動する際の、一定の経路。特に、天体が運行する道筋」とあった。天体が運行する道筋、なんてロマンティックなのかと頭上に広がる夜空に思いを馳せる。
母と別れて新宿の『OKADAYA』へ。リニューアルオープンし、縫製道具がこれでもかと置いてある聖地のような場所。知らなかった便利グッズを見ると片っ端から買いたくなるが、日本製やドイツ製と様々。メジャー一つ、針一本、色や好みを考えると選ぶのには一日入り浸らなくてはいけない。
仕事をするとき、目に入る道具が美しいものでないと、あがらない。外の景色も、道具の美しさも、作品に投影されていくと思っていて、自分の仕事はとにかくエネルギーを要する。限りのある時間を分け、命を削って縫っている。わたしはどこへいくのだろう。行き着く先、目的地に続く道を日々探すのではなく、針の先を見つめてミシンを踏む。そうしていつの間にか、母が言ってくれたように軌道に乗れていたら、それが一番。天体が運行する道筋はミルキーウェイのようなものなのか、銀河のようなものなのか。たのしみはすぐに手にしなくていい。見えないくらいにずっとずっと先にあるほうが、きっと。