久しぶりに叔母と長電話。昨日も今日も、車を運転をして美容室にいき、現役で美容師として働いている叔母、サンタモニカの空の下。「みもちゃんは何歳になったの?」と聞かれたので48だよと答えると、爆笑していた。気がつけば80歳を超えていたと、これからもっと早いわよと言われたが、きっとそうなのだろう。人生はあっという間だから、落ち込んだりしている暇はないし、ずっと勉強だとも言っていた。叔母は「みもちゃん、とにかくものづくりよ、日本人なんだから」という。「戦後19年で東京オリンピックを開催した、そういう歴史があるのよ。アイ・アム・プラウド・オブ・ジャパニーズよ 」とも言っていた。日本語を思い出すのが前よりも僅かに遅くなったきもするけれど、相変わらずキレッキレであった。
じぶんはミシンを踏みお洋服を、感じたことを言葉にして本を作っている。ときどき二本の手を、その先にある手のひらをまじまじとみて、これで仕事をしているんだよなあと思うときがある。お洋服であれば、どんな生地で、どんなカーブを描き、美しさを表現するか。足すのではなく、いかに引けるか。そういうものづくりを、この16年ずっと目指している。
同じくらいに、「言葉」での表現も大切にしていて、言葉の力を信じている。振り返って思うと、ブログが流行っていた当時(2000年から2010年くらい?)は、その人のかく文章を読んで、「この人とは仲良くなれそう、こんな感性の人が好き」と、更新されたものを読むことを、とても楽しみににしていた。実際にそのブログがきっかけで、友人になった人もすくなくない。時代はインスタグムになって、もっと簡易的に言葉をかけるようになった分、たくさんの文字に触れるけれど、ブログの時ほど心を揺さぶられるものはほとんどない。つい先日、そのことに気がついてしまった。短時間でキレイな感じに書けるし、格好よくも書ける。でも、自分の感性に響かないのは、ブログの時と何が違うのか。きっと、時間がちがう。なんでも時間は必要なのだ。ものづくりは、道が果てしなく長く、時間がかかる。形にして表現するには、お金もかかる。加えて、すぐに結果もリアクションも得られない。そういうものだと理解して、それでも信じて続けていくしかないのだろう。人生はあっという間だと叔母はいう。残された時間で、わたしが残せるものはなんだろう。そんなことを、昨日からずっと考えている。