これまで、仕事で何度足を運んだか数え切れないくらいの横浜・妙蓮寺駅だけれど、まだまだしらないことがおおい。昨日は友人で織り作家の中島寛子(なかじま・ひろこ)さんのワークショップに参加するべく、CANOという場所へ。駅から公園を抜けて知った顔をしてぷらぷらと歩いていたら、緩やかな坂から信じられないくらいの坂道に突入してへとへとになった。登ったとおもったらまた急にくだる。もう無理かもしれない。Googleマップによると、目的地は前方にみえるあのあたり。「えー、またしても坂があるー」と泣きそうになりながら向かった。あとでわかったが、どうやら道を間違えていたようだ。最初のお山は通らなくていい道だった。お腹は空いているし、時間はギリギリだし、坂道で息は上がるしで、半べそになりながら、急坂を後ろ歩きでのぼったりして頑張って向かった。わたしはとにかくヘタレなので、坂道もけっこう苦手で、すぐに根を上げてしまう。
自宅の一角と思しきCANOさんのアトリエは、感じのいい素敵な建物だった。ガラスのドアをノックすると、何年振りかわからないくらいの寛子ちゃんが、ぱああっという光の音が出るような笑顔で迎えてくれた。CANOの諏訪さん、という女性をご紹介してくださった。一瞬で、寛子ちゃんの長年の 友達というのが納得、という感じの方だった。昨日は織りでコースターをつくるワークショップで、これがもうすごくたのしくて、人数も五人とコンパクトなのも良かったと思うが、めちゃくちゃいい時間だった。お集まりになった方も総じて感じがよかった。
寛子ちゃんとの出会いは18年くらい前だと記憶している。当時原宿の明治通り沿いにある宮崎ビルの地階にあった<Zakka>で。当時から織り作家として活動していた寛子ちゃんは、納品かなにかでZakkaにいて、わたしは当時、Zakkaのギャラリースペースをお借りして夫の切り絵展かタイパンツ展のどちらかをしていたはず。店主の旦那様の北出博基(きたで・ひろき)さんが紹介をしてくれて、はじめましてと言葉を交わしたのではなかったか。高校時代の同級生の、お父さんでもあった北出さん。いつも優しくて、たまに厳しくて、愛のかたまりみたいな人だったから、 <Zakka>で取り扱いのある作家さんを、何人も紹介してくれた。当時のわたしはタイパンツ作家と名乗り始めたベイビーというか作家のはしくれで、まあまあやばい人だった。仕入れという名目でタイパンツ展の直前にアメリカに遊びにいったりしていたわたしを「みもちゃん、展示前に海外で遊んでいる作家さんはいないよ!」と呆れらたのも、今ではいい思い出。
Zakkaで作品を見ることのできる作家さんは、当たり前だがみなさん一流だった。そして総じて控えめで、真っ直ぐで、感じのいい人がおおかった。寛子ちゃんもその一人だった。真っ白な服が似合う感じの寛子ちゃんだけれど、わたしのタイパンツを選んでくれたのは、割とパキッとしたグリーンのアメリカの布だったり、ピンクのインドの生地とかで、結構攻めた色も好きな人なんだとわかった。確かに、寛子ちゃんの作品にはビビッとなものもあるから、納得と言えば納得なのだけれど。
三人の子育てをしながら織り作家として暮らし、最近はちょっと面白い町おこしみたいな活動もしている寛子ちゃん。昨日、『中島先生』として彼女を見ていておもったが、ものすごく熱いハートの持ち主で、愛情がこれでもかとこぼれ落ちる人で、どっしりと構えたおかあさんそのものだった。家でも、きっとこんなふうなのだろう。まずもって声がいい。優しくて落ち着く。うっかり眠くなりそうだった。ちょっと失敗しても「だいじょうぶだいじょうぶ、正解はないから」とすぐに軌道修正してくれる。「おかあたーん!」と呼びたいくらいだった。お互いにちょっとだけ子育ても楽になり、ちょっぴり歳もとったけれど、なんかいい感じに歳を重ねていた。手を動かしている人なので、手がしっかりとしていて、ゴツッとしていて、格好よかった。会の終わりにはまさかの先生お手製のキャロットケーキまで振舞われてびっくり。寛子おかあさんは、出し惜しみせずになんでも差し出しちゃうタイプなのだろう。大人向けのワークショップは、今回がはじめてだったそうだ。それを聞いてびっくりするくらい落ち着き払っていたし、めちゃくちゃ向いているとおもった。いろんな場所でタネをまいたらいい。家庭が、村が、町が、平和になるに違いない。そういう空気と時間を、自然とつくれる人なんだと確信した。寛子ちゃん、昨日はありがとう。また会おうね。