「英語検定を受けてみる」と娘が言い出し、先日試験を受けにいった。英検とか受けたことがなかったので「なるほどですね」と、おかしな日本語しか出てこない母のわたし。知らない駅で降り、試験会場となっている知らない学校へ足を踏み入れることを、娘はやけに楽しみにしていた。当日、試験が終わると家族LINEに報告がきて「やりきったよ、悔いないよ、今サイゼ(サイゼリア)!」と写真が届いた。中学一年生、ひとりで外食とか、まだ苦手な子もいて当然だとおもうが、娘はそういうのが楽しいそうだ。一人旅もしてみたいと言っていたし、そんな日もそう遠くない気がする。自発的、というのが一番いい。スイッチを押すのは、いつでもじぶんの人差し指で。
それにしても、羞恥心というものは実に人それぞれ。マックはいいけどサイゼは無理とか、サーティーワンは一人だと恥ずかしいとか、大人であっても、カフェはいいけどバーは行けないとか、聞くといろいろあるみたいだ。娘を妊娠中、やたらと肉を欲していた時があった。三日連続で焼肉屋に足を運んだとき、6人がけのテーブルに一人で座り、焼肉を焼いているじぶんは流石に滑稽だなとおもったが、恥ずかしくはなかった。一人でご飯を食べることが苦手で、駅のトイレの個室でおにぎりやお弁当を食べる人もいると、テレビでみたことがる。実際に、駅のトイレの個室でお弁当の空き箱を見たことは、過去に何度もある。人の羞恥心に対して「なんで?」と土足で踏み込むことはしたくないけれど、羞恥心は目に見えないから複雑で、とってもデリケートだ。なにかトリガーがあったのか、性格か、環境か、複雑に絡みあうものなのか。じぶんにも、掘り下げていくときっとあるはず。ここだど恥ずかしいけれど、よそでは違うよとか、それ日本だけだよ、みたいなこともたくさんあるはずなので、見て、感じて、じぶんのものさしを持っていたい。身近な人から言われたこと、あるいは、顔もしらない誰かの言葉、しっくりこなければぜんぶブランクでいい。
一昨年くらいから、修理の依頼をいただくことが増えてきた。自分で直せるわたしは、これまでいわゆる街のお直し屋さんなどに足を運んだことはほとんどなかった。お客様から依頼を受けるようになり、街ではどんな値段でどんな納期なのかなとおもい、ときどき足をとめてのぞく。Tシャツの裾あげなんかは、だいたい3000円〜4000円がおおく、特殊ミシンを使うので店舗にはなく、工場に送るため10日くらいかかるところもあるそうだ。簡単そうで難しい作業だから職人としてはよく理解できるが、カスタマーはどうなんだろう。1000円代で買えるTシャツもあるし、数万円のものあるわけで、修理代の方が高くなることもあるはず。職人であり作家のわたしがおもうのは、最初にしっくりくるサイズがあれば一番だよな、ということだ。わたしは背もちいさければ手も足も短いので、既成のお洋服でそれを探すのはむずかしい。でも心地よく着れないとバランスがわるくて美しさを欠くし、なによりもストレスなので、たいていのものは自分で直す。ちいさな違和感を減らす、ということが暮らしの心地よさに直結するといつもおもっている。そういう信念で手を動かしているじぶんの仕事が、お客様にも喜んでもらえるのはうれしいことだ。「修理」というと勘違いされがちだけれど、古いものを直すというより、個人的にはキレイに心地よく、快適でいるためのお手伝いをしたい。なんでもかんでも直すスタイルはじぶんの好みではない。時期がきたら別のものに仕立て直すか、「ありがとう、さようなら」も大切にしている。プロなので、寿命だとおもったらはっきりお断りもする。ブランドも、もともとの値段も、まったく気にしない。頑固なんです。自分で仕事をするのは、自由と責任がワンセットだから、信念だけがガイドラインなのだ。さてさて、今日もこれからミシンを踏む。本日も、修理とものづくりの二本立て。