朝のかわりに、早めの夕方から散歩に出かける。近所にはちいさな山があって、海もある。今日はどっちを歩こうか、たいていは歩きはじめてから行き先を考える。今日は山側からの海側と、ロングコースで散歩をした。風が気持ちよく寒くもなくて、青空と太陽がなんともきれいだったから。家でミシンを踏んでいると基本的に人にあわない。意識して体を動かさないと思考も体もちいさくかたまっていくから、こういう時間は大切。
昨日の夕方、ミシンをふんでいたら友達から「元気!」と連絡がきた。あまりじぶんから連絡をしてこない人なので、「元気だよ、どーした?」と返信したら「どーもしてない」と一言。気まぐれな男子である。でも、元気ならばそれでいい。用事がなくて連絡をくれるのも、案外うれしいものだ。そんな昨日のやりとりを思い返しながら散歩していた。夕陽がどんどんきれいになる。オフィスにいた頃、磨りガラスの向こう側に透けるオレンジ色の光が濃ければ濃いほど、窓の外を見られないことがいつもちいさなストレスだった。ミーティング中、いそがしいとき、そんなことを気にしている場合じゃないときも、そんなことばかり気になっていた自分。よく頑張ったねともおもうし、頑張れなかったんだね、ともおもう。どっちの自分も、いいこいいこ。今なら撫でてあげられる。
じぶんで仕事をしていると、仕事がスローだと時間があって、仕事が忙しいと時間がない。どちらにも幸せはあれど、ワークとライフのバランスはいつでも難しい。けれど、あの頃の夕陽のストレスがないのは、じぶんにとって間違いなくおおきい。この風景はじぶんが選んだ風景なんだなと、そんなことをしみじみおもって歩いた今日の夕方。きれいだね、と話す人がいなくてもさみしくない。みんなが夕陽の方をみていて、わたしも夕陽のほうをみている。