横浜駅構内で、横須賀線のホームにあがるにはどうすればいいのか、困っている様子の親子がいた。ひとりは車椅子に乗った男性、車椅子を押しているのはわたしとおなじくらいか、もう少しだけ年上かもしれない。親子なのだろう。雪の降るエリアから来たのかなとおもったのは、なんとなく土地に不慣れな感じがしたのもあるが、肌の焼け方が雪の反射で焼けたような雰囲気を彷彿させたこともある。でも一番は、履いている靴がスノーシューのような、雪道に対応するタイプのものだったから。案内の看板をじーっと見ていたので、しばらく彼らを遠くから眺めていた。すると、お父さんと思しき男性をその場に待たせて、若い男性がさっといなくなった。急ぐ用事もなかったし、車椅子の男性のほうに歩み寄って、「エレベーターをお探しですか?」と声をかけたら、若い方の男性が帰ってきたので、おなじ質問をする。「エレベーターだったらあっちみたいですよ」と、案内表示のほうを指さして伝えると、「ありがとうございます。駅員さんが、一番奥ですっていったので」と言った。会釈して別れ、わたしは階段でホームに上がった。なんとなく、ちゃんと登ってこられるかが気になったので、エレベーターが上がってくるのを確認できるくらいの場所から離れて見ていると、すぐに二人はやってきて、またキョロキョロとしながら、ホームを歩いていった。不安そうな姿が、小さくなってゆく。
昨日は久しぶりに母に会いにいった。母にあったあとは父に会いにといつもおもうのだけれど、母とたくさんおしゃべりをしていると、いつも時間はあっという間に経ってしまう。年老いた両親はそれぞれの現在に適した場所で、適切なケアをしてもらいながら暮らしている。すこしだけ居住エリアが違うから、都内でも移動に時間がかかるのだ。母はわたしをみるなり「そのセーターかわいいわね。にもちゃんも着たいって言わない?」と言った。袖と裾がオレンジ色で、ボディの部分はブラウンベースのニットを着ていったのだ。ネイルも同系のオレンジだったから、母はそれも含めてかわいいと褒めてくれた様子だった。時間がないとおもったけれど、ゴールドのネイルを落としてオレンジに塗り替えてよかったな、わたしはおもった。母とシュークリームを食べながら、最近の修理の仕事の近況など話していると、「人に喜ばれるでしょう。喜ばれるっていうのが、なによりの喜びよね」と言った。「お直しって、失敗ができないわね、緊張する?」とも聞かれた。「緊張するよ! 終わったらどっと疲れるよ」と言ったら、母は笑った。「あら、笑って涙がでちゃったわ」と言って涙を拭っていたけれど、さっきからその涙を眺めていたわたしは、ああ、会いにきてよかったなと、しみじみおもっていた。
四人兄弟で、ぶつかることはあってもおおむね仲良くやっているわたしたち兄弟。誰かが両親のところに足を運ぶと写真をとっては、みんなにシェアをする。決まりではないが、いつからかそれが当たり前になっていて、送られてきたほうは「いってくれてありがとう」とか「元気そうな姿を見れてうれしいです」とか、そんな感想をかんたんに送りあう。東京を離れたのは家族でわたしだけだから、一番足が遠のいているが、でもこうして、涙を流す瞬間だとか、シュークリームを口に運ぶ動作なんかを目の前でみると、やっぱり会いにきてよかったと強くおもう。写真や動画は残せるけれど、残せないものを、自分の中に残したい。そんなことをおもった。母は昔からよく「人からしていただいたことをお返ししなさい」と言っていた。「たとえおなじ人にじゃなくてもいいのよ、めぐっていくから」と。
子育ても親の介護も、当事者にならないとわからなかったことばかりで、今世では経験しない人生の人もいるとは思うけれど、わたしはその全部を糧にしてゆく。人の痛みや優しさに触れることを本当にたくさんしったし、それがまた誰かの役にたつこともあるのだと、最近つくづくおもう。生きているといろんなことがある。子育てや介護などは不可抗力で、努力も、意思も、コントロールもきかない。だから比べない。昼間に月を探さない、夜に太陽を探さない。陽がのぼり、陽が沈むように、人生はグラデーションでうつりかわってゆく。その時々の濃淡の中で、邪魔をしない存在でいたい。きれいだな、きれいだねと、お互いがおもえるような色彩の一部のように。