今日から娘は冬休み。安定の寝坊も放置。わたしはミシンを踏み、娘は遅めの朝ごはんを作って食べていた。お昼ご飯はわたしが焼きそばをつくった。昨日スツールが届いたので、部屋には新旧スツールが二脚。「キッチンで食べちゃおっかなー」というと、娘もいいねいいねと椅子を持ってやってきて、町中華のカウンターみたいにキッチンで二人、並んで食べる。ダイニングテーブルの方を指さして「あっちは広いのに、ここでくっついて食べてるのおもしろいね。ここで食べるの好き」と娘。「怒られるから(夫には)内緒だよ」、とわたし。
早い夕方、ドライブがてら娘と買い物へ。車の中で娘が流した、<なとり>という日本人のアーティストの曲がよくて、これいいねえとわたし。娘も、このフレーズがとか、ここの間奏がいいんだとか、熱い。「ママたち、けっこう音楽の趣味あうよね」というと「学校の友達にはまだいないんだよね」と娘。そんなたわいもない話をしていたら、娘が、先日学校行事で出かけた横浜が楽しかったなあと、あの歩道橋を走って渡ったんだよねえと、何度か繰り返し言った。なんでも経験だよね、楽しかったとおもうこと、つまらなかったとおもうこと、やらないとわからないから、とりあえずやった方がいいんだよ、自分はこういうのをつまらないっておもうのも、やらないと気づかないから。みたいなことをわたしがバーっと言ったら、「名言だね」と娘が言った。そうなのかな、でもちょっとうれしかった。そのあとは、高校はどんな場所に通学したらたのしいだろうねとか、それは登下校の景色とかも大事だよとか、銀杏並木とか横浜とか海沿いとかもいいよねえとかあれこれ話してゲラゲラ笑って、「いいね、全部これからで。青春ほど価値のあるものはないよ」と娘に言った。「これからたのしいことばっかりだよ、ばっかりじゃないかもしれないけれど、たのしいっておもう経験をたくさんしたほうがいいよ、たのしいよって語れるほうがいいよ。大変だよっていうより、よっぽどいいよ」と。そのためにはこうだよ、というガイドラインはなくて、伝えるのはいつもアウトラインだけなのだけれど。
親になると、人の命を(一定期間は)預かっているわけだからやっぱり責任は感じるし、親になる以前に比べたら旅も飲み会もあれもこれも遊びを控えてここまでやってきたような気もするけれど、でも最近、娘を産んでよかったなと、自然とおもうことが増えた。音楽の話なんて、わたしも娘と同じで、学生時代にここまでフランクに、そしてしつこく友達としたことなんてほとんどなかったかもと、振り返っておもう。じぶんの感性を意図的にぶつけはしないけれど、ここまでさらけ出せる人も、もしかしたらいなかったかもしれない。そして、家族のさだめだが、わたしの抜本的にダメなところも娘は見ていて、受け入れざるを得ず、諦めているところもきっとあるはず。
産まれてすぐは、人の家に突然きたのに言葉を喋らないしうんちとかもやたらとするし寝たり起きたり泣いたりとやりたい放題で、こっちはいつも疲労困憊だからちょっと嫌だと、結構つらいと、いつもうっすらおもっていた。パパ追いも結構あったから、夫がいない日中は夫の帽子を被り、夫のサングラスをかけ、変装したりとかもした。歩行器で、縦横無尽に、宇宙人かのように高速移動していた当時の娘は、わたしの顔をじーっと覗き込んでいた。けれど、全然だまされてはくれなかった。日々疲労を身にまとって頑張っていたわたしが、時を経て、娘を産んでよかったとおもえるようになるとは。でもそれは、娘のおかげでも、わたしのおかげでもない。過ごした時間が、そんな気持ちをわたしにもたらせてくれたのだろう。感情の変化に気づけてうれしい気持ちの今日だけれど、そんなこともすぐに忘れてしまうわたしだから、備忘録としてここに記しておく。