休日は、できる限り両親のところにいきたいとおもっている。おもっていても用事や家族を含めた体調など、いけない時もあるけれど、なるべく。都内にいく時は、娘を送り出してわりとすぐ、わたしも家をでる。まずは新宿で下車。BERGで朝食と昼食をまとめて食べて、杉並区へ。母と近くをお散歩したり、ランチの時間を一緒に過ごす。年はとったけれどまだまだのんびり(もともとのんびりした性格だが)と元気で、父の話をあれこれしては、ゲラゲラ笑う。さまざまなサービスがあって快適そうな暮らしなので、安心。母とバイバイして、次は新宿区。父に会いにいく。すっかり歳をとったけれど、会えるとうれしい。昨日はスマホからいろいろなジャズを流す。オスカー・ピーターソンの『オール・オブ・ミー』とか、ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』とか。わたしが覚えている、父の車でなんども聞いたような定番曲をかけると、ふむふむとうなずき、リズムに乗って首をたてにふっていた。ジャズを聴くときの、父の昔からの仕草。中でも一番反応して、アーティスト名を口にしたのは「ケニー・ドリュー・トリオ」だったので、昨日はしばらくかける。スピーカーに命をかけていた父なので、スマホのスピーカーじゃ嫌だろう。次回はBluetoothのスピーカーをかならず持ってこよう。マーシャルズの買おうかなあ、なんておもったりしながらジャズを聴く。いい環境にいられて、ほんとうによかった。ケアしてくださること、ただただ頭が下がる。父にバイバイして、新大久保を抜けて、歌舞伎町をあるく。ニュースでよく見るトー横キッズの真横をとおる。声をかけられるのを待っているような女の子が、退屈そうに立っていた。そのすぐそばを、自転車に乗った警察官がふたり。ここの警察官、たいへんだろうなあ、なんて思いながらぶらぶら。以前、歌舞伎町の中にあるスポーツクラブにいっていたことがあり、懐かしくなって建物をみてみると、まだ健在だった。でもあんまり活気はない感じ。バイトしていた店が入っていた建物も健在、よく飲みにいっていた炉端焼きのお店はまだあるのかなあと、懐かしく歩く。夕方に差し掛かって、西陽が新宿を照らしていく。
たまたま聴いてたのはスティービー・ワンダーのライブ版アルバムで、ちょうど『ステイ・ゴールド』が流れていた。じぶんにとってのステイ・ゴールドは、今住む街の、海に沈む美しいサンセットではなく、こういう風景なのかもなあ、としみじみおもう。ロマンティックではない感じ。トラブルが勃発しまくっていた(主に父と次女)体をはったコントのような実家での日々、風変わりな家族ではあったが、枯渇することのない愛情に包まれた日々、そういうものを思い出す。いろいろなことがあったけれど、今の兄や姉との関係は、両親の教育の賜物(たまもの)だと、ある方に言われた。そうかもしれない。みんなで何度も顔を合わせては話し合い、両親のためにできることを、できる人が、一生懸命力を合わせてしてきた。ここ何年も、もうずっとそう。
そのまま、新宿のDUGまで歩く。父の代わりにビールを呑んで、ジャズを聴いて。父がもうできないことは、わたしが代わりに。そこに悲しみや憂いは一切ない。それは父のおかげ。もともと「いいなあ」とか言わない人だから、「おう、やれやれ!」とか「 いきたいんだろ? いけよ」とかいうに決まっているのだ。オレ様が一番、それでいい。それは父が体現し、教えてくれたことの一つ。江戸っ子なので、口は悪いけれど、根はやさしい。今となっては口の悪さもどこに置き忘れたのかすっかり消えて、いつでもやさしい顔をしている。パパ、だいすきだよ。