親しい人にははなしていたが、昨年2023年は、2025年に向けたおおきな計画をくわだてていた。言い出したのはもちろんわたし。家族総出の大々的なプランで、それを成し遂げるにはどうしたらいいか、あの手この手で策を練っていた。これまで数々の失敗をしてきたけれど、そのほとんどは計画性のなさが原因で、いつでも行動が先走っていたわたし。その度に夫からは「考えたの?」と叱れる。「中長期計画をたてないからだよ」と耳にタコができるほどいわれてきた。今度こそ失敗は許されないと、ない知恵を絞って絞って、あれこれ計画。先をみて、計画。想像しては、また計画。結果からいうと、ぜんぶうまくいかなった。そのことにひどく落ち込んだし、立ち直るのには、そうとうな時間がかかった。
20代くらいの若いころは、「やってみたい、いってみたい!」の気持ちからタッチアンドゴーですぐにトライ。「やってみた、いってみた!」で完結していた。こどももいなかったし、なにより若い。わたしが若いと言うことは、当たり前だが親も若い。みんな元気。そういうフェーズだった。
湘南をはなれて、家族で住む場所をおおきく変える予定で動いていた。それに向けて本気で動いていたけれど、体もメンタルも強烈なブレーキがかかり、結果的には「いまじゃない」という答えをだした。年老いてきた親のこと、親を支える兄弟姉妹のこと。ときにケンカもするけれど、やさしい兄や姉を置いて、自分だけ夢に向かって遠くに動くこと、それはほんとうにいまなのか。冷静になったら「きっと後悔するだろうな」、とおもった。それで、夢はもうすこし先延ばしにすることを決めた。夢は夢で確かにとっておいて、娘が巣立つであろう10年後くらいでもいいかな、とおもったらストンと気持ちが落ち着いて。10年後、親が健在かなんてわからない。そうおもったら、今の優先順位は親や兄弟のほうが上だった。そのことに気がつけた。だからよかったのだ。だいぶ、まわり道をしたけれど。
中長期計画。言葉にするたびうまく言えなくて、チョウチュウキと言ってしまったりして、人にいう時はゆーっくり、チュ、ウ、チョ、ウ、キ、と口にした。そのうち長州力のかわいいバージョンみたいな『チョウチュウリキ』なら言えるのに、と脱線してニヤけてしまう始末。わたしと20年連れ添ってくれている忍耐強い夫は、近ごろ「みもちゃんはなにも考えなくていいんだよ。とりあえずやって、あとは軌道修正するから」という。夫は長州力(ちょうしゅうりき)でも、チョウチュウリキでもなく、中長期計画がだいすき。わたしはそれを、無自覚にいくどもぶちこわしているらしいけれど、夫はそれを立て直すのも得意。
夫とわたしは、真逆な性格。だけれど、いつでも同じ夢をみている。同じ船にたしかに乗っていて、わたしは舵を握り、夫はセイルをあげたりさげたりしている。「舵をきる、すすむぞー!」といったはずの航路をいきなりかえて、ごめんなさい。そうやってあやまることはかんたんだけど、この性格、たぶんなおらないんです。だからごめんなさいの代わりに、ありがとうって先にいっておくよ。