修理品の受け渡しは、材木座の<ミル・コーヒー・スタンド>がおおい。女性の店主が切り盛りされている。スタッフの方も、ちらりほらり。店主はこちらをほうっておいてくれるというか、静かなたたづまいがとても感じよく、居心地がよい。会話がなくても、目があわなくても、神経をはりめぐらせて気を配っているのが、空気でわかる。コーヒーも抜群においしいし、器もかわいい。ちかくにあって、朝からやっている、とてもありがたいお店だ。去年のこと。ある日、店主がデニムのリペアを依頼してくれた。仕事の話などしたことなかったが、修理品の受け渡しをする姿を、何度も見ていたのだろう、じんわりうれしかった。何年も前から足を運んでいるけれど、会話を交わすようになったのはこの1年くらい。だけれど、数年前に店の本棚にわたしの著書『Sunny Side』が置いてあるのを発見し、あの日からずっと「絶対にいい人だわ!」と心の底からおもっていた。日々、じぶんの居場所を守り、大変に決まっているのにたんたんとした様子で店を開けいる人たちを心から尊敬する。その二本足で踏ん張る強さ、心の強さ、あけていない時間の仕事の丁寧さ、それらすべてがお店の空気にきちんとあらわれる。
修理品をうけ渡すときは、堂々とわたす。強がっているのではなく、精一杯やったし、お金もいただくし、プロだから。それでも、お客様とわかれて一人になると「もっとできたんじゃないか」、「次はもっとうまくなりたい」と、たいていおもう。後悔ともちがう、反省ともちがう、悔しさともちがう、言葉にし難い気持ちがわくのだ。今できるベストを尽くすことしかできないが、これが最高だとはいつもおもわないし、もっと先があるはずと、そんな気持ちになる。「仕事はやいね!」とたいてい言ってもらうが、それは確かにそうだろう。はやく着たいんじゃないかなとおもってしまう(じぶんならそうだから)し、あまり待たせたくない。待たせる場合は受付をとめる。のんびりしているように思われるけれど、すごくせっかちなのだ。
タイパンツも修理の仕事も、これが仕事になるなんておもってなかった。今でもずっと安定なんてないし、毎日があぶなっかしい。それでもここまで、お客様が自分を育ててくれた。じぶんのための縫いものだったら、もっと適当に縫う。奮い立たせて頑張ることがだいきらいだから、ずっとコンフォートゾーンにいただろう。でも、タイパンツほしいとか、こんな修理はできますか? なんて言われると、おもっていたよりも真面目なじぶんが顔を出す。ちゃんと縫おうとか、本で調べてみようとか、YouTubeでテクニックを学んでみようとか、そんな感じで向き合う。これまでながく「できない」だから「逃げる」、次のイージーな道はなにかなって生きてきたけれど。仕事を頼んでくれる人たち、タイパンツを買ってくれるお客様が、わたしをここまで運んでくれた。「できない」ってスタートも、あんがい悪くないのかもしれない。自信、経験、勉強、その三つを、今、ゆっくりゆっくり、積み重ねている。こどもが積み木をつかんで、慎重に重ねていくようなペースで。くずれたっていい。そうしたら、またいちからつみ重ねていくから。