横浜に日出町というエリアがある。ラブホテル街とアジア料理店が混在していて、どこか新大久保の細道を彷彿させる街。都民だったころは横浜に憧れがあり、みなとみらい、山下公園、元町などにうっとりしていた。県民になった今も素敵な横浜に憧れがあるが、実際のところ、足繁くかよっているのは線路をはさんだ反対側。野毛や伊勢崎町、妙に落ち着いてしまう自分がいる。
昨日は、地元が一緒で当時サッカーのクラブチームでボールを蹴っていた友人と、三人で昼からタイ料理。新宿区民から世田谷区民になった二人と、都民から県民になったわたし。ここ数年はちょいちょいあっているが、会わなかった30年くらいがあるので、知らなかったことがまだまだあり、いつ会っても新鮮さがある。昨日驚いたことは、そのうちの一人がずいぶん前にタイ料理教室に通っていたこと。食材やメニューなど、やけに詳しいなとおもったら、ガチガチの教室で学んでいたことがわかった。へえ!食品衛生の資格もとったらしい。もう一人の友人は長く看護師として働いているが、副業としてよもぎ蒸しを学び、事業の準備体制を整えていた。二人でフードトラックとかやれるじゃん! よもぎ蒸しも! とわたし。「免許ない」、「ペーパードライバーだし」とそれぞれがいうので、わたしがドライバーできるよと、鼻息荒く名乗り出る。どうやって仕事にするかとか、どこに個性を出してビジネスにするかとか、お金の話とか、そういう発想が大好きなわたしなので、身を乗り出してしまった。二人ともわたしの食いつき方にウケていたが、学ぶことがとにかく嫌いなわたしなので、そもそも論として、大人になっても何かを学ぼうとおもうその姿勢に、まず尊敬。そんな話をしていたら、「みもは昔からサーフィンが好きで、ミシンも好きで、好きなことがずっと変わらないね」と言われた。「『冬は寒いからやらないとか、そういうのはだめ。わたしは冬もウェット買って海入るよ!』って言ってたよね」と言われたが、己(おのれ)、全く記憶になし。今は歳も歳なので初夏から秋くらいまでしか海にはいらないけれど、確かに好きなものは変わらないみたいだ。ストライクゾーンがせまいので、「好き!」とおもうと結構しつこい。気に入ったら服も靴も、同じ形を色違いで購入、色褪せたら同じものを買う、そういう偏った買い物のスタイルも昔から。こども時代の友人に会うと、自分の特性を嫌でも知ることになる。変わろうと努力したり、憧れて人真似をしても、それがいかに徒労で終わるかがわかる。思考や行動、全ての癖、無意識に原点回帰を繰り返すのだろう。浴びてきた言葉、長く親しんできた風景に触れると、眠っていた何かを一瞬で呼び覚ますように。
店を出て、伊勢崎町を抜けて関内駅までのんびり歩く。ホームレスの人がちらりほらり。その横をゆったり歩く私たち。「ホームレスをこわいっていう人いるけど、見慣れて育ったからか全然こわくないんだよね。怒ってるホームレスも、たくさん見たよね〜」と友人が言った。そう言われて思い出したのは、ホームレスのおじさんの怒ったおおきな声とか浅黒い顔とか絡まった長い髪の毛。それらが一気に甦ってきた。続けて彼女は、「本当にやばいときってセンサーが働く」とも言っていた。もう一人の友人の「『東京の人なのに私服がダサい』って言われた」では一同爆笑。否めない現実。ゲラゲラ笑いながら関内駅に到着。伊勢崎町っていつきてもどこかが、誰かがやさぐれいて、それを享受している街の雰囲気が憎めない。というより、むしろ愛おしい。格好つけない生き方がほんとうに好きだ。はだかんぼうみたいな素直さ、正直さに勝る格好よさに、わたしはまだであったことがない。