昨日仕事で縫っていたものは、苦手なシフォン素材をひたすらに。その後は厚めのコットン、インドのもの。それぞれに適したアイロンの温度があり、シフォンは縮まないように低温で当てる。その温度のまま厚手のコットンに移行すると、アイロンがビシっと決まらない。スチームの量も調整する。針もしかりで、それぞれに適した太さがあるのだ。料理人が包丁を変えたり、鍋を変えるのとおなじようなことなのかな。
こどもの頃からミシンが好きだった。家族で、わたしだけ。それがここまできた感じ。仕事として考えたとき、いちばん得意なのは接客業だろう。なんでも売れるわけではないけれど、いいな、好きだな、と思ったものには誠心誠意、伝えることはできる。それは呼吸をするように無意識にできる。話を切り出すタイミングも、ニーズを読み取るのもわりと得意。いそがしさをさばいていくのも波乗りみたいでたのしい。なにより、ものを売るのが好き。今のSAUCEの仕事でも、それを実感する。ミシンはその次。好きだけど、だからといっておなじものを工場で永遠に縫うとか、言われた通りに縫うとか、そういうことはとても苦手。飽きてしまうし、もっと上手な人がいることもしっている。自分のミシンはクリエイションの延長にあるから、もっとこうしたらどうだろうとか、このほうがかわいくない?とか、アイデアがわいてでてしまう。頼まれた修理に関しても、これはもう手放す時期だと感じたら、それを伝える。モノには寿命があるとおもっているし、これでいいのかなと思いながらミシンを踏んでも、きっとお互いにいいものにならない。
「Tシャツが2センチ長いから裾上げしたい」、みたいな感覚はわかる。自分は背が低いし、手足も短いから、トートバッグの持ち手、服の袖、丈、いろんなものが長い。そのまま着ても不自由ではないけれど、たいていは直す。トートバッグは持ち手が長ければ、はずして3センチカットして縫い直したりする。違和感が気持ち悪いのだ。
自分にとって仕事は、自然にめぐってきたこと、声をかけてもらったことがたぶんすべて。それが、すこしでも誰かの役に立てたり、笑顔をうむことができたなら。若い頃から目標に向かった結果、今の仕事がある人もたくさんいるとおもう。その生き方には尊敬しかないが、自分にはその才能がなかった。やってみたけれど、うまくできなかった。その繰り返しで、47歳になった。消去法でいまに至るけれど、それもまた人生なのだ。
今日もこれからレンバイのSAUCEへ出勤。鍵をあけて、まずは好きな音楽をかける。レジ金の準備、掃除などをしていると料理人がやってきて、お弁当を並べる。この仕事のスタイル、空間のサイズが自分には合っていると知ることができた。それだけでもう十分な収穫と発見だった。その上お金をいただくわけで、誠実な仕事をしないとと、あらためておもう。12月、あっという間にファイナルマンス。「終わったら、次はなにするの?」と聞かれることもあるけれど、答えはもちろんノープランです。