「ママ、最近文章の仕事した?」と娘が聞いてきた。仕事とはこのブログのことなので、「ここ数日はしてないかなあ」とこたえる。「そっか。ママの文章が好きなんだよね」と娘が言った。わたしの表現に不意打ちで感想をくれて、気分がいい日曜日の朝。「どうやって書こうとおもうの?」と聞かれたので「なんとなく、これ書きたいなって思うことがあるじゃん。そうすると冒頭の文章が浮かんでくるんだよね、あとタイトルが先に浮かぶこともあるよ。文章の終わりはむずかしくて、それはいつも書きながらなんだけど、スムーズに書き終われると気持ちいいんだよね」と言うと「小学校の放送委員の時、原稿を書くときもそうだったなあ」と言う。娘は小学校のとき、放送委員に情熱を注いでいて、とても熱心だった。最後の放送が終わったときに低学年の子が放送室ににやってきて「毎回たのしみにしていました」とお手紙をもらったそう。そのことを今でもとても嬉しそうに話す。面談でも、先生から「これまでの放送とは明らかに雰囲気をを変えたんです。他の先生も言ってますよ」と褒めてもらった。小学校生活で、一番うれしい出来事だった。放送原稿の話の流れで中学校の放送の話しになった。「中学校の放送はあまりおもしろくないんだよ。内容が毎回似ていて、聞いていてだんだん飽きちゃう。ずっと先生の紹介をしているんだけど、飽きちゃったねってクラスの子もいってた」と厳しい意見。やっている方も規律などがあるのかもしれないが、表現において飽きられてしまうのは一番避けたいところ。なんとなく肝に銘じておこうとおもうわたし。
じぶんにとってタイパンツと文章は、やると決めてはじめたものづくりなので、死ぬまで続けていくと決めている。他に続けてきたものもないし、弱いじぶんを、前よりは強くしてくれたものでもある。何も浮かばなくて書けないときも、縫うの疲れるなあ、手が痛いなとおもうときもあるが、なるべく飽きられないよう、怠らないよう、じぶんに正直に仕事を積み重ねていく。手を動かしていく人生、そういう生き方を選んだのだから。