「日曜日は夕方までテレビをつけない」という暗黙の約束は、娘が産まれる前からあった。それは、夫が聞きたいラジオ番組<shonan breeze>が昼から夕方まで、湘南ビーチFMで毎週6時間あるから。加えて、朝早くにはわたしが好きな落語家さんの番組<これが宮治でございます>がTBSラジオであり(早すぎてなかなかリアタイできない)、家族が起床して朝ご飯のあたりではFM横浜の<SHONAN by THE SEA>を流し、10時からはTBSラジオにもどって<安住紳一郎の日曜天国>へとうつる。娘はそれが日曜日の当たり前となっていて、別に何も言わない。興味がないときは、イヤフォンで別のものを聴くこともある。ワンルームだけど、イヤフォンがあれば結構ストレスなく、プライベート空間を確保できる、これはほんとうにほんとう。
土曜日の昨日、用事があり久しぶりにひとりで長谷を歩いた。<三留商店>でおいしそうなはちみつが売っていて、二つで迷って、結局二つとも買う。ひとつは、はちみつの巣のような形のままで、ゴロっと入っているもの。帰ってみせると、娘が「これ、スリービーハウスで食べたよね!」と言った。数年前、福岡・糸島の<bbb haus>というホテルに宿泊したとき、モーニングでそれに似たものを確かに食べた。甘党の夫と娘は、それをたいそううれしそうに頬張っていたっけ。「あそこで『フォークとナイフ、上手に使えるんですね』って言ってもらったよね」とも言っていた。わたしはまったく覚えていなかったが、そういう言葉を、言われた人は覚えているものなのかもしれない。言葉ってすごい。言っている方は無意識であっても、受け取る側は凶器にも、薬にも、毛布にも、なんにでもかたちを変えられるんだ。身が引き締まるような気持ち。
バードコール(鳥を呼ぶ道具のようなもの)を買って以来、朝夕とベランダにでて、それをちいさく鳴らすのが日課になった。きれいな鳴き声を返してくれる鳥もいて、ちょっと天国みたいだって本当におもう。朝は鳴き声とともに朝焼けを、夕方は明るい月を、焼けていく空を、鳥と一緒に眺める。「キレイだね」って一緒にしゃべっているような、そんな気持ちになる。美しさをつくる、美しさを眺める以外に、人生でできること、残せることって他に何かあるのだろう。見渡してみるけれど、みつけられない。そんなふうに思わずにいられない。この気持ちをうまく言葉にできないけれど、「できない」って安易に口にしないで、掘り下げて、見つめ続けて、言葉にできるような人になりたい。そういう日常を繰り返すことを、宝ものだと思えるような自分でいたい。傷つきやすい繊細さ、すぐに揺れる心の振動、高まったり弱ったりする鼓動。そんな自分を、昨日とおなじくらいに明日もきっと、そっと愛でていけますように。