「男っぽい」とか「女っぽい」とか、もはや死語かもしれない。時代は大きく変わったし、昔に比べたらずいぶん生きやすくなって、やっと楽になってきた実感がある。ここ数年、大人になってから出会って親しくなる人は比較的男性が多い。一緒にいてすごく楽。気質として、男性はもともと優しさがおおくて、それが溢れているのかもしれない。一方、女性の方が強かったり逞しいと感じる。それをオブラードで包むために、女性はチャーミングに、あるいは美しく生まれてきたのではないか。近頃はそんなことをおもう。
この夏知り合った鵠沼海岸の『Philson’s Shoe Repair 』(フィルソンズシューリペア)の山森さんに、靴を直してもらった。気に入っているカンペールのブーツと、シューレースの相談。想像以上に見事な仕上がりで、この人に頼んでよかったと心底思った。お店のInstagramに時々ポストされる、カスタマーのシューズのビフォーアフター写真がとても美しくて、眺めてしまう。どうしてこの道を選んだのだろうとか、どんな気持ちで独立したのだろうとか、笑顔の奥の苦悩や決断を、いつかじっくり聞いてみたい。
サーフボードのリペアをしている『Birds creation』のジョージくんもそうだけれど、どんな下積み期間があって、どんなタイミングで独立を決断したのか。『Logger』の末綱さんもそう。どんなことを思いながら、日々手を動かしているのか。みんな、いい笑顔のいい奴らで、愚痴っているのとか全く見たことがないけれど、色々な時代を経ての今なのだろう。
近頃つくづく思うが、『個』の時代なのだ。買い物をするにしても、この人のセレクトから買いたいとか、修理ならこの人、空間づくりを頼むならこの人とか、身体の相談はこの人、ご飯はこの人の味が好き、コーヒーはここ、この人のセレクトしたワインならきっと美味しいとか、自分の中にはしっかりとした確信がある。信頼という言葉が近い。そういう人からの紹介はほぼ間違いがないから、いい縁が紡がれていく。歩んできた道が人をつくるのだ。自分もそうありたい。誰に見せるためではなく、自分に恥ずかしくない道をまっすぐに歩きたい。