『SAUCE』には三人の料理人がいる。女性が一人、ご夫婦が一組(ひとくみ)。そして、NさんとMちゃんの二人三脚チーム。前述のふたりは、おそらくわたしと世代もそう遠からず。育ってきた時代がおなじだし、感覚的に「うん、そうだよね」みたいな双方の理解は比較的容易。互いの辞書には共通の単語とその言葉の持つ意味、説明が記述されている。当然、仕事はスムーズ。いっぽうのNさんはレジェンドクラスのお年で、腕前ももちろんレジェンド。バブル時代を過ごしてこられた人で、お店をやったり、お店を閉じたり、またお店をやったり、いろんな時代に、いろんな土地で仕事をつくってきた様子。一見静かで控えめな雰囲気をまとっているので、オシャレが好きな、寡黙な料理人なのかとおもっていた。その予想は、あっさりとくつがえされた。一緒に仕事をして数日でわかったが、Nさんは自覚のない、根っからの『ザ・アーティスト』だった。様々なことが破天荒で、だいぶとおくのほうで、自由気ままにとんでいる。糸が切れたあとの風船みたいに、風にのって気持ちよさそうに空を泳いでいる感じ。最初は驚くこともあったけれど、これは波なんだと、波乗りなんだととらえることにした。デカい波、乗りやすい波、おばけセットで次々やってくる波、さまざまな波を上手に波乗りしたらいい。そうマインドを変えたら、俄然たのしくなってきた。
売れるものを、売り切れるだろう数を予想してつくる。という概念よりも先に「つくりたいものをつくる」、という思想が根底にあるのだと想像する。ブランディング、マーケティング、フォーキャストはいま、いずこ。「美味しいものをつくる」というまっすぐな情熱、探究心たるや言葉にするのはとうてい難しい。お米の研ぎかた、浸水の仕方、炊き方ひとつ、前日からこだわりまくっていると後輩のMちゃん(おなじ和光生だった)が言っていた。お店は10時オープンなのだが、納品がそこに間に合うことはあったり、なかったり、なかったり、なかったり。Nさんは出来立てをバイクで運んでくる。一便、二便、三便と、往復の回数はその日による。まれに13時をすぎることもあり、売る側のわたしとしてプレッシャーだが、売るプロなので、そこは腕の見せ所でもある。個人的には鎌倉の内田裕也なんだとおもっている。生き様がロックンローラーなので、角度を変えて眺めると、すべてのことがほんとに愉快。見るからにロックならわかるのだが、一見わからない。そのギャップがいちばんおもしろい。
昨日は、搬入を終えたNさんとしばらく談笑。わたしが買った、業務用アイロンのはなしをしていていた。「高かったけれど思い切って買ったんですよ」というと、「みもちゃん、仕事道具は大事だよ」とNさん。確かにそうなのだ。手にした分、当たり前だが売上を増やさなきゃいけない。「売上をあげるには、同じものを縫い続けるのがいちばん効率いいし、安定的だし、収入も増えるんですけどね」とわたし。「そうなんだよね、でもあきちゃうよねえ」とNさん。「そうなんですよねえ」とわたし。うっかり意気投合してしまった。「たいへんだけど、どうしたらうまくいくかなって、かんがえてかんがえて、それが当たったときがいちばんたのしいよ」とNさんは言った。その景色は、失敗の連続の先にしか見えないのだろう。それはいま、わたしが請け負いはじめた縫製の仕事にも通じる。収入は不安定だけれど、今はじぶんの仕事が好ましいし、喜ばしい。そして、誇らしい。先日のトークイベントでインタビュイーの丘広大(おか・こうだい)さんが、『好ましい、喜ばしい、誇らしい』その三つが大事なんだと言っていた。コーチングの仕事を生業(なりわい)にしている丘さんの言葉には説得力があったし、一番響いた言葉だった。「誇らしい」が何よりも大事なのだと。この仕事、この生き方、この選択は誇らしいのか。常にそう考えて生きていくことで、悩みはあっても迷いは減っていくような気がする。いいときにいい話を聞けたし、いいときにNさんにも出会うことができた。ギフトというよりは、偶然にちかい感じがする。たとえば夕方に散歩をしていたら、たまたま美しいサンセットが目に飛び込んできたような。驚きと感動のふつたが、同時に身体感覚に飛び込んできた、みたいなやつにすごく似ている。