車検で代車に乗っていたここ数日間。日頃はいわゆるコンパクトカーに乗っている。車に関して、我が家はとにかく劣悪(れつあく)な環境。ビーチサイドではなくビーチフロントなので、砂浜に車を停めているようなもの。中古車屋の店主にも「車検を通して4年乗るのを目標に、そういう車を乗り継いだ方がいい。134号線沿いの人とかは、割とそういう人が多いですよ」と言われて、言われるがままに買った車。気のいいおじさんだし、知人の紹介なので全面的に信用しているのだ。
代車は軽自動車の白いワゴン。これが結構運転しやすくて、うっかり気に入ってしまった。それで友人を迎えにいった先日のこと。鎌倉でご飯屋を営むMちゃんは、関西出身で笑いに関してハイスペックな女子。こちらに近づいてくる時点でニヤニヤが止まらない様子だった。「業者さんみたい!」とのこと。奇遇ですね、わたしも運転しながら「運送のバイトとかもできるかも」と思っていた話をする。運転が好きなので、免許をアップグレードして大型トラックとか、ゴミ収集車とか、色々できるような気がしてきた、と。赤帽さんとかもいいかも、と。バスとかもね、と一瞬思ったが、日本のバスは色々ときっちりしているので性格的に難しいかもしれない。
16歳の時、叔母の住むサンタモニカで『BIG BLUE BAS』という市バスにたくさん乗った。免許はないが時間はあったので、移動手段はバスだけだった。カリフォルニアの風土なのかな。フランクな運転手の自由さとか、バスの色の美しさや車体の長さ(2台連なったバスも多かった)とか、座面の高さとか、色々なことに衝撃を受けた。あるとき、バスに乗ろうと走ってきた人に気づかず、運転手が鼻歌を歌いながらバスを発進させた時のことだ。それに気づいた乗客の一人、黒人の女性が運転手に向かって大声で”Wait!”と叫んだ。運転手も素直にバスを停めてドアを開け、走ってきた乗客は”Thanks!”と言って乗り込んだ。そういう普通のことが、日本ではなかなか難しい。なぜかなって思うけれど、よくわからない。
いい車に乗っているとか、大きな家に住むとか、そういう憧れがまずあったとする。それを人にどうみられるか、あるいはみられたいか、みたいなものがくっついてくると、物事はさらに厄介なことになる。例えばすごく変な格好のえらい人とか、様子のおかしな車に乗っている普通の人、というスタンダードはあんまり見当たらないから、人は見た目でなんとなく判断せざるを得ないのかもしれない。わからなくも、ない。
わたしは人に会う時、無意識に靴を見てしまう。最初に靴屋に勤めていた癖が抜けないので、ついでにサイズも、好みのサイズの履き方までもある程度の判断ができる。1日1000万売れるお店にいたので、経験値が異様に高いのだと思う。ただ、海外にいくとこの習性は割と生きてきて、ヤバそうな街だな、とか、危険そうだな、という時の判断の一つになる。靴は結構語るから。
車に関してはずっと無関心できたし、むしろイタリア車好きの父への反発で「イタリア車だけはいや!」と思って生きてきた。けれど、ここ数年気付いたことは、自分は多分イタリアがめちゃくちゃ好きそうだ、ということ。しかも南イタリアが好きだろう、ということ。そう思うと、人生で一度はイタリア車には乗ってみたい気がしてくる。スペインとポルトガルも好きに違いないだろうな。そういう経験を、人生後半戦、ここからしていく気がする。
父に感謝していることは、車や家やお金や、そういうものはもうたくさん見せてもらったこと。その大変さも、今ならわかる。破天荒で色々と大変な父だったけれど、パパって素敵だなと思うところは、自分の好きにまっすぐだったところだろう。「こう見られたい」ではなく「こうしたい」が原動力の父で、人のこととか家族のこととか、全部たぶん、どうでもいい。車、靴、シャツ、手当たり次第イタリアに狂っていて、made in ITALY に命をかけていた。レコードも異様に愛していて、スピーカーにも死ぬほどお金をかけていて、そういう自分が大好きだった。その、最後の最後に残ったお金で子育てをしてくれていたのだろう。教育費を貯めようとか、結婚資金を、とかそういうことは1ミリも思っていなかったはず。パパの辞書に載っていない。そういう人が一家の大黒柱の家で育ったわたしなので、色々な常識が逸脱しているのも、もはや致し方無い。ということに、本当に最近気づいた。よその家と色々と違うことがずっと、ぼんやりと不思議だった。「あれ?」と、ときどき首を傾げながら、子供時代を過ごしていた。自分の幼少期のエピソードとか、うっかり話すと大体引かれる。でもね、変な人って世の中いっぱいいるんですよ。ほら、ここにもね。それでもこうして大人になれるの。だから、今辛かったり、人と違ったとしても、ぜんぜん大丈夫。そういう本を、次は書きたい。わたしと、わたしの家族の話を。