昨日、ブログに兄のことを書いたからか、珍しく兄から電話。と言っても、わたしの兄や姉や両親は、このブログを誰も読んでいないはず。インスタも書かない。わたしのタイパンツも文章も、そんなに興味がないのだろう。そういう素直さが小鳥家の良いところで、反対もされなければ、そんなに熱心に応援もされない。「がんばってね」程度。昔からそんな感じだ。
兄からの電話は、母のサポートスケジュールの調整依頼。それと、一年に一度くらい「色々あるよね〜」みたいに、おにいちゃんが心のうちをポロッと電話でいうときがある。七つ下だし、性格がめっちゃ違うわたし。言葉にならない想いを吐くのに、気楽な相手なのだろう。優しくて、優しすぎるくらいな節(ふし)がある兄。いつも誰かのために動いていて、この数年は特に父のこと、母のことに時間も気持ちも割いて動いてくれている。とはいえ兄も歳なので、自分もたくさんケアしてほしい。海が好きで、波乗りが好きで、鹿児島が大好きな兄が、来月鹿児島(種子島もなのかな?)に行くと聞いて、心底嬉しかった。
わたしが小学生の頃、兄はもう高校生だった。町田市にある和光高校に通っていた。制服のない自由な校風で、のちに影響を受けてわたしも通った学校。兄は当時、VESPA(ベスパ)というイタリアのバイクに乗っていて、ビリヤードと波乗りが好きだった。当時は『オクトパスアーミー シブヤで会いたい』(1990年に公開された映画)が流行っていた時代。兄は主演の東幹久にそっくりで、「みもちゃんのおにいちゃんって格好いいね」と友達によく言わていれた。美形だけどそこにあまり気づいていない様子は母譲り。綺麗好きで、世話好きで、わたしとは色々なことが真逆。「将来はパパみたいに破天荒な男ではなく、おにいちゃんみたいな人と結婚しようっと」と、やりたい放題の末っ子は思っていた。髪も白くなり、すっかり歳をとったけれど、いい人なのはあの頃のまま。世の中は変な人、イヤな人もたくさんいるから、たぶんたくさん、傷ついたりもしたとおもう。でも、個性を失わないでおじさんまで来た兄を、誇りにおもう。六人家族の中で、一番常識的でまともな人は、もしかして兄かもしれない。その次に上の姉。あとは誰だろう? とにかく変な家族なんですよ……。来年は家族のことを本にしたい。めっちゃお金かけてつくりたい。装丁とか、紙とか、好きなの選ぶの楽しみだな。破天荒なオレ様だから、やりたいようにやる。身銭を切るぜ。