耐久レース並みに極寒だった小学校の卒業式、本日無事に終了。
「ことりちゃん、10年はくそみそになって子育てするのよ。わたしもくそみそになって子育てしたんだから!」

娘が産まれてすぐ、そう言ったのは先輩ママのKさんだった。そのころのKさんは一人息子もすでに大学生。Kさんは自由に旅行をしたり、好奇心の赴くままにアクティブに動いていて、自由なママの典型のような人だった。そんなKさんからは、まったく想像のつかない言葉の贈り物で、わたしは少し意外におもった。「え? くそみそ?」と。けれど、あの言葉は正解で、核心をついていた。娘が産まれてからの10年、しばらくは抱っこで腱鞘炎、風邪をもらっては副鼻腔炎に悩まされ、イヤイヤ期ではこっちもキレて、保育園、小学校の入学、慣れない学童、夏休み、毎回がはじめましての連続で、慣れたと思うと次の何かがやってきた。さっきまでの苦労など何もなかったような顔をして台風みたいに過ぎ去り、置き土産のように次の課題を置いていく。そんな10年がすぎて、確かにこの2年くらいは子育てもすっかり楽になった。むしろ、わたしの体調がすぐれないとき、バランスが悪いとき、夫婦仲が良好でない瞬間に流れる空気の悪さでさえ、チームを支える要(かなめ)のようなポジションで動き、助けてくれた。褒めちぎって甘やかして育ててきて、たいしたことはしてこなかったのに、ほんとうにいい子に育った。ありがとうと思わずにいられない。「叱るところが見当たらない」と母に言われて育ったわたしだけど(夫に言わせればいろいろあるそう)、その言葉、そのまま娘にスライドしたいくらいだ。わたしはもういらないから、ぜんぶあげる。
子育てに関しては、面倒くさいジャンルはほとんどを夫に任せてきたし、わりと自由な母だと思ってきた。けれど、ほんとうにそうだったのだろうか。娘の卒業に際し、来月からのあたらしいフェーズを想像する。これからはもっとあっという間で、テストも増え、受験もあり、自分がそうであったように、親に相談する前に、人生の選択を自分でしていくだろう。わたしの役目はいつでも見守るにすぎなかったけれど、これからはもう少し離れた場所で、時に双眼鏡をのぞくような距離で、娘の光や影、瞬きだけは見逃さずに、アウトサイドでみていくつもり。親になる前の、もっと言えば結婚をする前の本来のわたしは、もっと自由で、もっと我慢をしなかった。一人旅もだいすきで、飲み歩くこともだいすきで、終電を逃したり、友達と羽目を外すこともだいすきだった。比較的自由な母、妻でいられて感謝しているとずっと思っていた。けれど、もしかしたら半分くらいは言い聞かせてきたのかもしれない。ほんとうはたくさん我慢してきた、先日ふっとそう思った。そんな思いがたくさん溢れて気が済んだら、「じぶんもいったん、ここから卒業できるな」、と思えた。それは娘の卒業と同じくらいに肩の荷がおりた安堵感で、そのことに一番驚いたのはわたし自身だった。来月からはもっと波乗りもしたいし、夜に飲み歩いたりもしたい。楽にかまけて、忘れかけていたタイプのファッションやメイクもしたいし、オシャレしたいし、体も動かしたいし、年相応に可愛い50代を迎えたい。娘が卒業を迎えてくれたことで、わたしにも、わたし自身の卒業をおしえてくれた。
こども、正直あんまり好きじゃなかった。赤ちゃんを抱っこして、バギーと大荷物で困っているおかあさんの途方のなさ、電車やバスで席を譲ったことなどあっただろうか。親になるまでぜんぜん意識もせず、むしろ視界にもはいらなかった。駅のホームに降りたら、わたしは身軽に階段を駆けあがれた。イヤフォンからは聴きたい音楽を聴いて、少ない荷物に、軽い足取り。エレベーターを探したこともなかった。末っ子で育って、ちいさな存在が身近にいなかったし、可愛がられるのはいつでも自分、かたよった視野と傲慢な感覚を持って、大人になった。そんな自分の暮らしに、娘は突然やってきた。ちいさな命、手を差し伸べる必要があるか弱い存在がこの世には確かにいるということを、たとえばおおきな鳴き声で、うんちやおしっこで、あらゆる手段でボールを投げては、伝えてきた。ストレート、変化球、うまく打てなくて、わたしは三振。「ありがとう」というありきたりな言葉ではなく、もっとちがう言葉はないのか。心の中を掘り返して探してみても、それはまだ、尽くす言葉が見当たらない。わたしを探してくれたのか、あるいはひろってくれたのか。案外、道を歩いていた途中でばったり出会っただけなのかもしれない。わたしの47年の人生で、一緒に過ごした時間はまだたったの12年。決して長くはないけれど、今世で縁があって出会えた、大切な人のひとりであることに、間違いはない。卒業おめでとう。