吉祥寺に、『ホテルニューヨーク』というラブホテルがある。カタカナでホテルニューヨーク。昨日、一足先に湘南へ帰る夫を見送りがてら駅までぷらぷらと三人で歩いていたとき、娘が「ホテルニューヨーク!」と大声で読み上げた。夫が「しー」と言う。なんで? みたいな感じの娘。「ここはホテルはホテルでも、恋人たちが使うホテルなんだよ」とわたし。「あーぁ」と娘。ホテルニューヨークを曲がってすぐ、今度は『質』と書かれたのれんが。すかさず「あの『質』って言うのは質屋っていってね。馬場(わたしの故郷)にもあったけれど、お金に困窮(こんきゅう)した時に金目(かねめ)のものを持っていくと、お金を借りられるんだよ」と伝える。「そのお金、すぐに返さないとどうなるの?」と娘が聞くと「『質流(しちながれ)』って言って、すぐ流されちゃうんだよ」と今度は夫。「えー、こわーい。お金無くなっらニモ(娘の名前)に言ってね。まずはおパリに連れて言ってあげるから」だって。娘はなぜか将来、わたしと夫をおパリ(パリをおパリと言う)に連れていくと度々いう。飲兵衛の両親を乗せてパリで運転してくれるらしい。やたらと言うので、何となくパリだけはその時までとっておこうかなと思ってしまう。
昨日の午後は、母がウィークデイにステイしている場所までお迎えにいき、一緒にタクシーで自宅まで帰宅。その後、娘と母を家に残して、わたしは吉祥寺の街を散歩。吉祥寺は若い人が多い。みんなどこから来たのかなと不思議におもうほどに、若い人が多い。特にカップルが多い。みんなの親は元気なのかなと、ぼんやり思う。まだ若いのかな。元気なのかもしれないね。でも、親は歳をとる。こちらも歳をとるように、歳を取る。
自分がもし遠方から上京していたら、どんな気持ちだったのかなとふと想像してみる。よく「ご両親のところにマメに帰っていてえらいね」とか言われる。が、東京で育っていたら神奈川なんて近い方だし、大したことない。それよりも、遠方で暮らしている親子の方がよっぽどえらいと思う。年に数回しか会えないとか、会えない年もあるとか、自分だったらどんな感じだろうと想像する。想像するけれど想像力がないので、全く描(えが)けない。唯一想像できるのは、空港や駅のホームで号泣する自分で、そのお別れが辛過ぎて無理。久しぶりに会うと、「パパもママも老けたなあ」とか思って、再会した直後に大泣きしそう。母は短大で鹿児島から東京に出てきたので、そういうことを全部経験しているんだな。強さが違うわけだな。バッタとかも怖くないし、地震も台風も、ゴキブリもぜんぜん平気だもん。一方の父は、生まれも育ちも結婚後もボケた今もずーーーーーっと東京なので、そういう別れを経験していない。できないと思う。家族もみんな近くにいる。唯一、わたしが一番遠くに行ってしまった家族だ。父はさようならが大っ嫌い。葬式では誰よりも泣いている。そして「献杯(けんぱい)」に命をかけている。「明るく楽しく飲むことが故人を偲ぶことなんだ!」と、いつも言っていた。メガネの奥の瞳から、水のようなものを溢れさせながら。淋しがり屋で泣き虫で怖がりで。ああいう人だけはイヤ! って思っていたのにな。変なところばっかり父に似てしまった気がするわたしだ。