月曜日の午前中は、休日だが事務作業がある。主には週締めの精算作業。ギャラリーの運営をしていたとき、企画展の後に同じ作業をしていた。あの経験がまさかのここでいきるとは。人生に無駄なことはないと聞いたことがあるが、本当なのかもしれない。その後は耳鼻科へ。先週は鼻、喉、耳と不調が続き、代わりがいない仕事なのでなんとか乗り切り、やっと受診。診断は副鼻腔炎(ふくびくうえん)だった。娘がちいさなころ、つかれると度々かかっていた副鼻腔炎。今は右耳が詰まったかんじ。薬をもらって帰宅。
午後、自宅にMちゃんがきてくれた。SAUCEで知り合った料理人のMちゃん。現在は逗子市に在住だが、もともと実家は町田市だったと聞き、「わたし、町田にある和光って学校にかよってたんだよー」と話す。すると驚愕した表情のMちゃん、「え!わたしも和光です!」とのこと。まさかの後輩であった。どうりで気が合うはず。運命を感じる。
昨日は料理の撮影があったそうで、Mちゃんがつくったお弁当をもってきてくれた。先日、Mちゃんがつくったチマキがものすごく美味しかったので、お弁当も楽しみにしていた。しかし、よりによって先輩はこのタイミングで副鼻腔炎に。せっかくのお弁当、味がぼんやりとしか届かず、申し訳なかった。Mちゃんと話していると笑いの神様が降臨することが多々ある。後輩の真面目な話を聞いているはずが、先輩はいつもふざけた回答が頭に浮かんでしまい、笑いに落とし込みがち。なんの参考にもなっていないと思うが、人の意見はそこまで参考にしなくてもいい。自分はどうおもうか、自分はどうしたいか、そこに真実がある。先輩が言えることがあるとすれば、元気がないとき、大きな決断をしないこと。そのくらいなもの。
Mちゃんと別れて、夕方は娘の小学校で最後の個人面談。ちいさな小学校で2クラスしかなく、担任の先生が娘をみてくれたのはこれが2回か、3回目(忘れてしまった)。かけているメガネや着ている服、バランスが全体的に良くて似合うものを身につけいている男性。くるっとした髪の毛は天然ではなく、おしゃれパーマをかけているらしい、と娘がいっていた。教室にはいるとクリスマスソングスのジャズバージョンが、PCからちいさく流れていた。「先生、今日はラウンジ風ですねえ」というと「ポップスとか、他にもいろいろありますよ」と先生。
「気になっていることはありますか?」と聞かれ、「ありません」と答えるのもいつものこと。先生には感謝しかないです、これまでありがとうと伝える。あとは我が家のくだらない話がほとんど。先生はずっとウケていた。最後は、根っからの営業マン気質なので、SAUCEの話をして「先生も来てくださいよ」というと、「土日もやってるんですね、いきます!」といってくれた。鎌倉在住らしいし、あの先生ならきっと来てくれるはず。
昨日、小学校の正門玄関をはいってすぐの壁に、生徒が毛筆で書いた書が一枚、大きく貼られていた。
「大切なのは今なんだよ」
10月の運動会で学校をおとずれたときも、それは貼られていたので、きっとずっと貼ってあるのだろう。こどもたちが登校するたびに、風景として当たり前に目にする場所。その紙を、しばらく眺める。涙が込み上げてきそう。こどもにはかなわないなあと、あらためて。先のことを考えたり、先まわりして転ばないように備えたり、情報をあつめたり。過去を振りかえっては「もっとああしておけばよかった」とか、ついつい大人は考えがちだけれど、一体いつからそんなふうになったのか。「大切なのは今なんだよ」の気持ちを、どこに置き忘れたのかと、改めて自分自身に問う。
わたしたちが住む、この町はちいさい。だから小学校しかなく、次は人数のおおい中学校へ進学する。多感な時期だしいろいろあるとおもうけれど、原点をわすれませんようにと願う。そんな願いすらも、大人の勝手な願望なのだ。娘の人生は、娘の手が握る舵(かじ)が、その方向を決める。大海原に漕いでいく娘の船。わたしはそれを海上から見守る。わたしはわたしの船に乗って。わたしの人生の舵(かじ)をきれるのも、わたしだけなのだから。