年に数回、ふいにおとずれる猛然と片付けたいモードが発動し、あれこれ処分している。器、本、靴、バッグ、お洋服など。お譲りしたり、グッバイしたり。モノがいろいろある空間も結構すきなのだけれど、部屋がせまいし片付けが苦手なのでしょうがないのだ。大切なものも、もちろんたくさんある。その境界線はなんだろうとおもいながら、せっせと手を動かす。個人的に、エプロンは捨てどきがむずかしい。おようふくと同じ感覚で好きで、気分で色を選べるように枚数持っている。好みの形やカーブは決まっているので、着なくなったタイパンツやワンピースから、同じ形のパターンをおこしてつくることがおおい。服にはじまりエプロンで終わる、そういうものは結果的に命がながい。
先日、家族の用事でショッピングモールにいった。丈詰めなどのリフォームのお店がめちゃくちゃ混んでいて、既製品にぴったりの人って案外すくないのかも、なんておもいながらその列を眺める。買うのは簡単だけれど、さがすのが大変。おようふくは好きな形をみつけ、くわえて色も好き、となるとなかなかない。だから、気に入った形に出会うとうれしいし、そういうものはながく着ているみたいだ。買うこともある、縫うこともある。なおすこともあるし、捨てることもある。経験や体験はいくらでもしたいけれど、形あるものはたくさんはいらない、というのが指針として自分の中にある。だからきっと、狭い家や狭い空間もきらいではないのだろう。工夫することがたのしい。今年はいろいろな縫製の依頼があった。修理ではなく、相談に乗ってつくっていくものもあり、アイデアを出したり、提案したり。そういうことが自分にはできるのかも、そして結構得意かも、というのがわかった一年でもあった。これしかできない、と思わずになんでもやってみたほうがいい、やってから考えたほうがいい。というのが今年の学びであった。