ここに書き残している文章を、誰が、何人が読んでいるのかしらない。調べる方法もあるのだろうが、興味がないからしない。インスタグラムのストーリーズにポストはするが、そこについた足跡の人が読んでいるとも限らない。それも、全然気にしない。日々は忙しいし、近くの遠くのお知らせもおおい。目も疲れちゃう。それで普通、それが普通。
昨日、『Life is beautiful』というタイトルで書いた文章に、ハートマークがひとつあった。ときどきあることなので、あ、この人が読んでくれたんだな、なんておもって眺める。昨日もそんな感じでちらっと見たら、そのマークの主は、なんとすぐそこにいる娘だった。これは、はじめてのことだった。
最近の中学生は、インスタグラムのポストはしないけれどストーリーズは使うことがおおいらしい。娘は最近になってわたしのアカウントのフォローをしてくれたそうだ。「ストーリーズにリアクションしてくれてたね」と言うと「うん、いい文章だったよ」と言った。なんだこのうれしい気持ちはと、自分でも驚いてしまった。それは、人から評価されることが嬉しいというのとよく似ているけれど、厳密には違うとすぐに気づいた。心のどこかでいつも、この文章は自分のために、次に娘のために書き残している気持ちで綴っているからだと気づいたのだ。たとえば娘が毎日チェックして、毎日おなじようにリアクションをしてきたらなんだか不気味だし気持ちが悪いような気もする。けれど、そうじゃないからこそ、昨日は届くものがあってうれしかった。
今日の夕飯はメヒカリの唐揚げ。魚よりも断然肉派の娘だが、「これは美味しい!」とたくさん頬張っていた。昨日のリアクションみたいに、やっぱり嬉しいわたしの心。あなたに手紙を書いたよ。うん、読んだよ。そんなふうに、お返事をもらうみたいなのが、一番いい。じぶんの表現を、知らない人にたくさんではなく、優先的に近くの、ちいさなところに先に届けたい。それが縫い物でも、料理でも、文章でもいいのだけれど、まずは身近な人に手渡していきたいと、そんなことをここのところ想う。すごくつよく、想っている。
今日、相談があり久しぶりに三輪舎の中岡祐介(なかおか・ゆうすけ)さんと長電話をした。ずいぶん久しぶりだけれど、お互いの想っていること、考えていることはとてもそばにあった。忙しそうなのに、相変わらずに親切でグッときてしまった。中岡さんに限らず、軸をぶらさずにおなじことを続けてきた人から学ぶことはおおい。
若いときはあっちこっち手を出したい時期もあったし、変化をつけたいとか、もっと違うこともできるのではないかなんて、そんなことばかり思っていたが、最近、ほんとうにそのような考えはじぶんの中から消えた。いらないものはどんどん削ぎ落としていきたい気持ちが強い。そしてやっと、少しはじぶんのことを褒められるようになった。腐りそうになっても腐らずに縫ってきて良かった、誰が読むんだろうと思いながらも書き続けてきて良かった、そんなふうに。この賞賛は、他の誰かからもらういいねがいくつあっても、決して得られなかった。それを知るまでに、こんなにも時間がかかると、若い頃のわたしは知らなかった。だからと言ってここがゴールではなく、気づけたからまた、スタートなのだ。トラック、2週目。少しづつ、次のイメージを描いている。今年はそれをひとつひとつ、行動にうつしていく。そういう年にするって、もう決めている。