日記本をつくるにあたり、信頼をおいている仲間の何人かに会って相談をしているうちに、見えなかった光が見えてきた感じ。服もそうだが本もそうで、原材料費も人件費も上がり続けるし、価格をおさえて利益率を上げるにはたくさん刷ってたくさんうること、どうやらそれ以外に道はない。しかしそれ、本で生計を立てているわけではない自分が本当にやりたいスタイルなのだろうか、疑問を抱えいた。
お気づきの方もいらっしゃるかとおもうが、街中の素敵なカフェや本屋、アパレルなどのお店を注意深くみていると、最近『通信』や『新聞』というようなスタイルで紙媒体のお知らせを置いている店が増えた。しかも、デザインや配色などとても素敵なものがおおい。印刷費とかたいへんだろうなとおもうけれど、楽しそうなのが紙面から伝わってくるし、静かなメディアでいいものだなとおもうから、ありがたく手にして帰る。先日、日本橋の<木屋>に行ったら、なかなか立派な『日本橋』という本をいただいた。銀座でも、確か昔からこんな本があったことをふと思い出した。父がよく読んでいて、バックナンバーがトイレに置いてあったのだ。確か、『銀座百店』というタイトルだったような。その一方で、価格を抑えてつくったんだろうな、という本も昨今たくさん見かけるわけで、ものづくりってなんなんだろうと、表現ってなんだろうと、頭が混乱する。それは本だけでなく、服も、靴も、なんでもそう。ただでもいらないとおもうものが、堂々と値段をつけて売られていたりする。果たして自分は今どこの立場にいて、どのくらいの財源で、どんなものを作れるのだろうと考えたら、進みたい足が立ち止まってしまっていた。
「どうして日記本つくりたいんですか? 誰に読んで欲しいんですか? 予算はどのくらいですか?」
先日相談にのってもらったNさんに直球で聞かれて、「いちばんは、娘に残したいんです」と答えたら「だったら、極端なはなし一冊でもいいのかもしれない」と言われて、なんだか目から鱗が落ちた。絶対的な信頼をおいているNさんの言葉は、刺さるものがあった。「それ日記本じゃなくて、もはや日記ですね」と言って一緒に笑ったが、なるほど、わたしはそういうことしてみたかったのかもしれない。一冊つくる。自分でプリントして、束ねて、装丁も考えて、学生時代に卒業文章を作ったみたいに、日記本を作ってみようとおもう。出来上がったそれは娘に捧げたいが、6月からはじめるあたらしい場所にも置いておくので、オーダーをいただいたら、また一冊、もう一冊と作っていこうとおもう。
先日表参道の<MoMA>で、特装本(とくそうぼん)というのをはじめて目にした。特装本とは、その名の通りに特別な装丁つくられた本。大量に刷られた本は一冊1980円だったが、その特装本は16万5千円で、ガラスケースの中に飾られ、横に置かれてあった。その特装本、目が飛び出るほどに素敵で、時間とお金のかかっているものとは、と思いながらもさすがに手が出ないので1980円の本を買って帰ったのだ。五十嵐威暢(いがらし・たけのぶ)さんの、『はじまりの風』という本で、素晴らしいので足を運んでみてほしい。特装本ではないが、わたしが手にした本も十分に素敵で、デザイナーだった著者ならではのシンプルだがセンスのいい装丁は目に美しく、手触りも素晴らしい(著者は<PARCO>のロゴなどをデザインされた世界的に有名なデザイナー)。
日記本は娘に残せたら十分だが、もしも読み返したいとおもってくれる稀有(けう)なかたがいたら、心を込めてまたつくるつもり。同じものは、きっと二冊とない作りになるはず。この先、命懸けでつくりたい本はあと一冊で、それは実家の家族のこと。そのための原稿を5年くらいかけて書こうとおもっているので、文章という文章は、しばらくはそちらに全力を注ぎたい気持ちでいる。それ以外に、短い言葉を残す訓練をしたいので、昨日から詩をかくことを決めた。「声に出して読めない言葉は書かないほうがいい」と師匠は言っていた。ダサいもの、格好つけてるものは声に出すとペラッペラでつらいから、等身大の言葉を、できたら手書きで残して声に出す、という試みをはじめてみようと思いついた。長文を書くためには、短文もきっと必要だろうとおもったのだ。長距離選手だって、トレーニングで短距離ダッシュをするはずだしね。人生は部活。文芸部、練習を積み重ねるべし。