鹿児島で歯科医だった母方の祖父が、新婚時代に住んでいた盛岡という街。お茶の水の歯科大学を出て見習いで働く場所を探したとき、なぜ鹿児島ではなく、盛岡を選んだのだろう。寒いのに? 鹿児島から遠いのに? そんなことを思っていたけれど、足を運んで祖父がこの街を気に入った意味がよく分かった。素晴らしく清く、美しかったから。
音楽家を目指していた祖父は、「音楽では食べていけないから医者になりなさい」と親に言われ、歯医者になる道を選ぶことになったそうだ。診察の合間に、よく白衣のままピアノを奏でていた祖父。ギターやバイオリンも弾けて、絵も上手で、詩もかくし、ハーレーにも乗り、自分の船も操船できる、ロマンティックの塊のような人だった。この町が、祖父にとってどんなに美しく映ったのだろうと思っただけで胸がいっぱいになり、何度も涙が出そうになる。岩手山の山肌、町を流れる川のせせらぎ、木々の緑を見ながら、本当に何度でも涙がこみ上げてきた。それに比べると、どんどん変わったであろう町の建物が、なんだかちっぽけに思えてしまった。人が作るもの、生み出すもの、営み、手作業をもっともっと、もっと大切にしたい。叶わないかもしれないが、あるがままの自然のように、ずっとそこにあって、わたしの魂を宿らせるような仕事をしたい。強い憧れのような気持ちが湧き上がる。そんな気持ちでわたしはミシンを踏もう、と。
祖父が見習いで働いていた歯科医は今も健在で、土曜の夕方でも患者さんがおおくいらしていた。代を受け継いだというお嬢様にお会いして、しばらく話をする。大先生(おおせんせい)は昨日不在だったが、今もご健在とのこと。次は必ず母と叔母を連れてきますと約束を交わす。
もう一つの目的は『BOOKNARD』で開催中の展示を見ること。うまく説明できないけれど、「実物を見なくっちゃ」という衝動に駆られてやってきた。立体の作品を二つ買わせてもらう。他にもアムステルダムの作家のカレンダーと、早坂氏の本も買う。店主の早坂大輔(はやさか・だいすけ)さん、やーーーーっと会えた。本のお取引や、その他もろもろでもインスタのDMでやり取りはしていたが、やっと。「インスタを見てるからあんまりそんな感じしない」というようなことを早坂さんはおっしゃっていた。わたし個人的には、「早坂さんは実物の方がもっと全然いいな」という印象を抱いた。たとえば、話の途中でもお客さんが入ってくると「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」の声掛けを忘れないところが素晴らしいと思ったし、時々、おもむろにあたふたしているところは人間らしく、妙にチャーミングだった。一人でこれ全部やってるんだ、マジかー、大変だろうなあと思う箇所がいくつも見受けられた。憧れられるだろうし、実際に幸せだとは思うけれど、日々はめっちゃ大忙しだろう。共通の友人が多いので、あっちこっち話題を飛ばして盛り上がる。「『よ市』ってイベントをやっていて、ビール飲んだり食べたり、ことりさんはきっと好きです」と教えてもらい、バスのアクセスを聞く。早坂氏、バスの案内が苦手なのでしょうか。聞いても聞いてもなぜか頭に入らず、笑いを堪えながら聞いていると、それを見かねたのか、別のお客様が遠慮がちに会話に参加してくれた。笑いが起きる。ご飯屋教えて。飲み屋も教えて。喫茶店も教えて! 明後日行きまーす! みたいな私のボールを見事に打ち返してくれた早坂さん、ナイスガイでした。あえてよかった。
ことりさんは、教えてもらった『よ市』で飛ばして、気まぐれに銭湯いって、さらに『寅さん』という名の、早坂さんから教えてもらった飲み屋にも梯子して、昨晩はコンプリート。盛岡やばいなー。楽しすぎる。
銭湯で仲良くなったおばちゃんにも祖父の話をすると、「そんな昔に盛岡を選んでくれて」とすごく感謝された。その当時は川にかかる橋が二本だったはず、とも。銭湯でもタクシーの運転手さんとの会話でも、金物屋でも飲み屋でも思ったが、岩手弁って、妙にソウルに響く。聞くだけでもう涙がでそうになる。なんでなんだろう。内側の愛がイントネーションに乗ってこだましているような、独特なものを感じる。すごく泣き虫のわたしなのに、泣きそうで泣かない不思議。東北の人の強さと温かさみたいなものがそこはかとなく空気に混じっていて、それを肌で感じる。盛岡、大好きになった。おじいちゃん、早坂さん、導いてくれてありがとう。