今朝、娘に「ママが朝にPCで書く仕事って、どんな仕事なの?」と聞かれた。「ママは、また本をつくりたいっておもったときのために訓練として書いているんだよ」というと「ふーん」と娘。タイパンツや海の家のアルバイトのように、やれば確実にお金が入ってくるものだけが仕事ではないんだよ、とまで説明すると長くなるし、まだ早い気もしたからしなかったが、そうおもっている。ここに書かない時でも、ノートに手書きで日記のようなものを書くことはおおい。「自己研鑽(けんさん)ってやつですね。いきなり本をつくろうとおもっても、文章はかけないからね」とわたし。『自己研鑽』と辞書で調べると『自分自身の能力や知識を向上させるために、主体的に努力する取り組みのこと。「研鑽」は、学問などを深くきわめるという意味を持つため、自己研鑽は自分自身を鍛え、スキルや知識を磨き深めることを指す』とあった。まさにである。
命がある限り、詩のような言葉を文章として綴りたいし、言葉として声に出して発したいと、常に思っている。空の青、海の青をどんなふうに表現するのか、例えて伝えていくのか。それは自分自身が正直で、誠実であるため。なるべく感性に忠実であるために、研鑽している。そんな振り返りの今朝。
昨日は、帰省から戻った<sahan>のみーやんのリクエストで<カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ>へ。「つかれた〜」と、おおかた想像とおりに愚痴っていたが、根がおもしろ気質のみーやんなので、いろいろ突っ込むと、負けじと応戦してきて結果的にたのしいランチ。みーやんとわたしは、20代の終わりに美術作家の永井宏(ながい・ひろし)さんが葉山・一色海岸のアトリエでおこなっていたワークショップで出会った。永井さんを通じて今の仕事をつくってきた人は湘南におおい。ディモンシュのマスター、堀内さんもそのひとり。みーやんは、関西に住んでいた若かりし当時、鎌倉に遊びにきて(憧れのお店のマスターだったのかな?)堀内さんに「写真を撮ってください」と言って、ツーショット写真を撮ってもらったことがあるそうだ。かわいいがすぎる。そんな堀内さんと、昨日はフランクにいろいろな話をしていた。その姿を眺めながら、鎌倉で飲食店をいとなむ彼女が積み上げてきたもの、キツイときにも歯を食いしばって続けてきたこと、息抜きにディモンシュへ通ったのであろう時間の尊さを思うと、なんだか込み上げてくるものがあった。
みーやんと別れて、急いで帰宅。午後は、夏休み中の『DAILY』の馬詰さんがうちにやってきた。馬詰さんも永井さんの古くからの知り合いで、紹介してくれたのは永井さんだった。朝に「みもちゃんの家いっていい?」と聞かれたので「いいですよ」となった。連絡が直前になりがちでスピード感のある人で、じぶんもそういう性格なので機敏にボールを打ち返せる。
自営業の人は、休日でもなにかしら仕事の延長で手を動かしている人がおおく、馬詰さんもそんなひとり。わたしもオフとオンがごちゃまぜに働いている昨今なので、ふたりで手を動かしながらあれこれおしゃべり。先ほどのみーやんではないが、わたし自身も、馬詰さんは永井さんの知り合いとして出会った、遠くにいる湘南の大人だった。由比ヶ浜の<BORN FREE WORKS>をやらないかと声をかけてもらい、馬詰さんが築いてきたものを引き継いだ数年間は、たくさんのしんどいことがあった。けれど、それらを経てこんな時間を持てるようになった。途中、外出先から戻ってきた娘は、お土産にいただいたお菓子を食べたり、ベッドに寝転がってNintendo Switchをしたりして、くつろいでいた。そんな間もわたしたちはずっと手を動かしていた。馬詰さんはいつも誰かへのお土産をたづさえている印象の人だが、昨日も娘にはお菓子を、わたしにはたくさんのビールを持ってきてくれた。馬詰さんが帰ったあと「お菓子おいしかったね、いつでも来てほしいね」と娘が言ったときはおもわず吹き出してしまったが、加えて「馬詰さんてはなしやすいね」とも言っていた。そんなふうにうつったのか。こどもの感性はまっすぐで、よくみているというよりは、素直に感じていてる。そんな心をわたし自身もずっと持っていたい。26歳で湘南にきて、こどもの心を残したままの大人にたくさん出会ったわたしは、48歳になった今、いったいどんな大人なのだろう。