灼熱の銀座へ。連絡をいただき、20年ぶりくらいに、バイト時代のオーナーと会うことになった。当時19歳だったわたしと、ひと回り歳が離れたYさんは31歳男性。Yさんは西新宿のアイランドタワーという、当時できたばかりの高層ビルの半地下のような場所で、ちいさなカフェを営んでいた。オープンしたばかりだったとおもう。その頃のバイト探しといえば雑誌『フロム・エー』か『アン』が主流で、それ以外は店舗に貼られた張り紙だった。Yさんが営んでた『NYC (ニューヨークカフェ)』の募集は、店舗の外の壁に貼られていた。たまたま西新宿を散歩していたわたしは、そのビルの前を通りかかったとき、素敵なビルだなとなんとなく寄り道をしたのだった。19歳、大学1年生だった。
昔から制服ぎらいのわたしは、当時から雑誌でバイトの募集を見つけては、最初に下見にいき、まずは制服をチェックしていた。「あの襟はないなー」とか「あの色は似合わないからバツだな」と、壁に隠れて勝手に逆面接をし、自分好みの採用と不採用を繰り返していた。とんでもない学生である。そんな子は面接してもらったとして、不採用だったに違いない。
Yさんのカフェは、アメリカ(正確にはニューヨーク)が大好きなYさんのセンスが炸裂していた。ダイナーを意識した内装で、今思い返してもとても雰囲気のいいコンパクトな店だった。ラジオ・フライヤーを知ったのも、柳宗理をしったのも、エスプレッソをしったのも、そのほか書ききれないけれど、たくさんの知らなかったことを学んだのはその店だった。ワンオペレーションだったのも、制服があってないようなものだったことも気に入って、面接を受けた。当時のことはまったく覚えていなくて、「相当やらかしてました?」と聞くと「みもは素直でおしゃれなおんなの子で、気が合いそうだなーとおもったよ」と言ってくれた。へー!めっちゃくちゃガングロでしろいアイシャドウにメッシュで小室ファミリーの歌が好きでハワイが大好きなサーファーの女の子だったけれど、そんなふうにおもってみてくれていたのか。うれしかった。実際、Yさんとは確かにウマがあった。とてもかわいがってもらって、バイトの後に一緒にスケートボードをしたり、Yさんの運転するフォードで七里ヶ浜で波乗りとかもした。わたしの姉とも仲がよく、姉が当時ニューヨークの孤児院でボランティアをしていたとき、Yさんはニューヨークで姉に会ったりもしていた。家族もYさんを好いてきた。
そんなYさんと久しぶりに会って、ランチをし、お茶をし、たのしい時間。お仕事になりそうな意外な依頼を受けて、うれしかったし、実現するのかどうかわかないが、とてもたのしみな案件ではある。当時どうやってまわしてたんですかとか、ぶっちゃけ家賃いくらだったの?とか、家賃踏み倒したりしてませんでした?とか、年間売り上げは?とか、根掘り葉掘りきいて、ゲラゲラとウケる。当時アルバイトのひとりだったはわたしは個人事業主になり、すこしは商売のはなしもできるようになっていることも互いにおもしろくて、つくづく不思議なご縁で結ばれたYさん。当時付き合ったばかりの夫のこともよくしっているので(無職で長髪で6歳年上の彼を、Yさんは最初とても心配していた!)、もうほとんど親戚みたいな感じ。出会いとはほんとうに不思議なものだ。あの日、なぜ西新宿なんて散歩していたのだろう。普段はそんなことしないのに。きっと何かつよい力に引き寄せられたにちがいない。そうやって人は人と出会い、別れをくりかえしていく。