娘が入部を決めた茶華道部、おもっていたより夏休みも活動をしている。お抹茶をたてるだけでなく、障子の張り替えや和菓子つくりなど、多岐にわたって日本文化を学んでいる模様。今日はカステラを焼くのだと、スーパーに集合なんだと、張り切って登校。登校といってもこの酷暑、まあまあな距離を歩くので、車で送迎をしている。
今朝、夏休みの旅行先で誰にお土産買う?なんて話を娘としていたときのこと。「ばあばにも買って会いにいこうねー」なんて話から、「きっとほめてくれるよ」とわたしが言うと、「ばあばに会うと、自己肯定感がブチ上がるよねー」と娘。なんて現代っ子な言葉遣いなのかしらとおもったが、『ブチ上がる』と言うニュアンスがガチでピッタリ、若者と暮らしていると、こっちまで言葉遣いがバグってしまう。
母は一人暮らしを経て、今はサービスがいろいろあるようなかんじの場所で、日々を過ごしている。ケアをしてくださる人が複数いて、母に会いに行った際は、わたしもスタッフの皆さんにご挨拶をする。そんなとき、母はいつも通りみなさんを褒めまくっている。髪型がかわいい、お肌がキレイね、いつもありがとうなどなど、通常運転。そのやりとりを見ていると、顔がほころばない人は皆無で、みなさん一様にうれしそうにしている。「いえいえ」と謙遜する人には間髪入れずにかぶせ気味にほめる母。当然、足を運んだわたしのこともほめてくれる。ずっと褒められて育ったので、褒められて謙遜しないことは、母のおかげで特技になった。
社会に出て、実家を出て、仕事をし、リーマンショックで派遣切りにあって深く傷つき、自営業ではくやしいおもいもたくさんして、自己肯定感がぶち上がらない日々もおおいけれど、母に会うだけでたしかにわたしはブチ上がる。帰り道にスキップをしたくなるほどに。実家で暮らしていたとき、じぶんの部屋を散らかしっぱなしでも平気でいるわたしのことを「散らかし屋さんなのね」と散らかすことでさえ、さんづけしていた母。
世にでて、信頼しているひとからアドバイスをいただいて伸びることはあっても、逆らいたくなるおとなに怒られて伸びることがなかった人生で、怖いこと、嫌なことからはいちもくさんに逃げてきたわたし。そんなダメなわたしの姿をいくつも知っている母だけど、いつだったか母の前で泣いたとき「頑張らなくていいわよ、みもちゃんは十分頑張っている」と言ってくれた。いつもありのままを受け入れてくれて、弱さも褒めてくれて、今なおブチあげてくれる偉大さ。人を褒めているときの母は心からうれしそうにニコニコしていて、耳を澄ませると『キラキラ』と、音が聴こえそうな感じさえする。そんな空気を身にまとって今日も、今も、誰かの自己肯定感をブチあげているにちがいないわたしのママは、娘のバァバ。