1月はゆっくり休もうと決めていた。自宅でミシンを踏みつつ、溜まっていた家のこと、事務作業などこなす。2月からは本腰を入れて仕事しよう。そうおもっていた矢先にCHAHATの大竹社長からラインがきた。「1日の土曜日、お店番できますか?」とのことだった。神様にお尻を叩かれた気分。人がいなくて困ると、時々こうして社長から連絡がくる。呼ばれた場所で、接客や販売を担うことはわりと得意だし、「困ったなあ。あ、ことりさんがいる」とおもってもらえるのはありがたい。求められたことにたいして誠実に仕事をする、ということが唯一の自分のスキルだと信じたい。この25年近く、たくさん転職をしてきた。一貫性のない業界と職種を歩んできたので、もはや積み上げたキャリアなどはなにもない。「石の上にどうして3年?」みたいなことは語れるけれど、世間的にはダメ人間の部類にくくられても、いたしかたなし。ミシンだけはずっと踏んできたことが、一つの心の支えではないが、心の豊かさになっていることだけは確か。そういう意味では、「継続は力なり」はほんとう。
少しやってみて「わー、これ無理だ。全然違った」とおもったら、すぐに辞めてしまう。その都度、まわりの人からは「もう少し頑張りなよ」と幾度となく言われてきた。すごくイヤだった。頑張ってもきっとおなじだろうと一度思ってしまうと最後で、お互いに時間の無駄だと思えて仕方がなかった。甘いし、根性もない。そこが短所で、同時に長所だと思えたのは、親のおかげ。実家で暮らしていたが、なにもとがめられることなく、個性だと受け入れてくれたから、自分の選択を信じられた。そういう環境で暮らせたことは、人生の最大の宝だと感謝している。もう十分な大人だし、大人になったらなおるのかなとおもっていた部分は、結局何も変わらなかった。むしろたくましく、揺るがないものになっている。いろいろな不具合、不恰好な部分があってもこうしてなんとか生きているわけで、しぶといし、ずぶといのかもしれない。じぶんができなかったこと、選ぶことができなかった道のほうも含めてどんどんさらけ出して、バカを全力で出していきたい。若いひとは生きているだけでいろんなことを悩む時期がいくつもいくつも、やってくる。時に、命を落とすほどに。そういうとき、その手前で「困ったなあ。あ、ことりさんがいる」っておもってもらえたら本望。継続力と忍耐力で勝ち取ったものはこの世に確かに存在するだろうから、頑張れるときはそういう先輩に話を聞いて。頑張れないときは、イヤフォンでもして耳をふさいで。立派な人は世の中にたくさんいるから、わたしは「じゃないほう」の先輩でありたい。「若い頃はしんどかったよ」ではなく、「ずっとしんどいけれど、鈍感で図太くもなるから、逃げながら、のらりくらり生きていて」と、言いたい。あの頃の自分にも、ちょっと前の自分にも言ってあげたい。頑張れば、この先に成功や光があるよなんて無責任に言えない。だって、別になかったもーん。それに、それが本当に幸せなのかも、正直わからない。生きているだけで、よろしいんじゃないでしょうか。何者かにならなくても。 ことりさんは近頃、家族がわたしのいうことに笑ってくれて、ごはんを美味しいと食べてくれて、年老いた親に会いに行けて、兄弟と力を合わせられて、そういうことだけで十分自分の存在価値を見出している。これも仕事なんだと。優先順位はまずじぶん。次に身近なひと。小さな世界に笑い声がこだますること。そこに見出せた幸せを超えるものは、今のところない。何者も知りえないこの幸せは、じぶんだけのもの。足元に転がっているものほど、大切なものはない。