昨日、『メゾンボングゥ』の焼き菓子を食べながら、横浜ストアで出会ったGちゃんのことを思い出していた。Gちゃんは茅ヶ崎在住で、男子(2人か3人、どっちだっけ)のママ。わたしがストアを去るとき、「みもさん、おつかれさまでした〜」とプレゼントを手渡してくれた。袋の中には『メゾンボングゥ』の焼き菓子と『カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ』のドリップパックが入っていた。ずっと行ってみたと思いつつ、駐車場とかあるのかなーなんて思っていたお店だったから、ものすごく嬉しかった。プレゼントを選ぶセンスがこういう人なんだな、というのを垣間見ることもできた。
Gちゃんは子育てにトッププライオリティを置いている。平日はきちっと早上がりする感じも、旦那さんがいらっしゃる週末はびしっと働いて、なんなら飲みにもいきたいみたいな感じの振り切り方も、すごく素敵な人だなと思っていた。Gちゃんの『いらっしゃいませ〜』が好きだった。居酒屋のように元気が良くて、こっちも思わず「すみません、生ビールくださーい!」と言いたくなるような活発な『いらっしゃいませ』が。後でわかったのけれど、Gちゃんは沖縄出身だった。なるほどなと思うような朗らかさと、根っからの明るさに、心底納得。「子どものご飯、面倒くさいよねー」とかよく二人で話していて、「『白米あるよね〜、ふりかけあるよね〜、オッケーだよね〜』って子供に言うよ」、みたいなことを話しながらゲラゲラ笑った帰り道。ときに相談に乗ってもらったりもして、すごく好きな人。あんなお母さんが家にいたら、子供は幸せだろうなと思っていた。沖縄の太陽みたいに力強いなにかを発している。

『キラキラ』という言葉を文章で使うことがある。例えば太陽、例えば海の水面、例えば星、例えば反射している光の粒、表現としてすきなのだろう。一方で、『キラキラ』と人から言われることは苦手。『キラキラ恐怖症』と言っても過言ではないくらいだ。「キラキラしているね」と昔からよく言われるが、なんかつらい。発言は自由なので「言わないで」とまでは思わないが、言われると「またか…」と思う。自分で自分のことを「キラキラしています」と思っている人はきっといない。わたしもそう。でも言われる。つらい。「ギラギラしてるね」と言われたら、面白い返しの一つや二つを想像しては、ニヤニヤできる。でも言われない。「ギトギトしてるね」も言われない。お風呂とか掃除とか、ぜんぶ大っ嫌いなんですけどね。イメージなんて本当に適当なものだ。だからわたしは人の噂も、噂を口にしている人も、一切信用しないと心に決めている。「あの人がこう言ってた」とか、「あの人は○○らしい」とか、心の底からどうでもいい。本人に聞けよ、そして言えよ、と思う。暇なんだね、とも思う。わたし、勝手にいい人に見られるけれど、氷のように冷たいハートなんです。自分が大好き。次に家族。その次に仲間が好き。会ったこともないのにおかしな熱量で近づいてくる人や、顔も名前も出さずに発言する人、噂ばかりの人、行動しない人、決断の勇気がない人、いっぱいるよね。自由は尊重するけれど、そういう人とはどうやっても心をかわせない。なんも届かねえ〜(2008年北京オリンピック時の北島康介風)。わたしが信じているのは、わたしの心の反応だけ。