「冬に冬らしいところに旅するならどこにいきたい?」家族で話していたときのこと。家族全員が「富山」と答えた。
昨夏、初の北陸に足を運んだ。夫のルーツでもある金沢(大阪育ちだが、ご両親が金沢の人なのだ)にいってみようか、という軽いノリで金沢に二泊したあと、富山に一泊した。金沢駅から富山駅へは新幹線で移動したのだが、駅に着いたときの人の数や駅の雰囲気が、さっきまでいた金沢駅とはあきらかに違った。疲れていたのもあったが、なんだかちょっとホッとした。娘もおなじようにおもったのか、「富山、なんかかわいい」と言った。すごくしっくりくる言葉だった。一泊だったし、天気も曇っていたし、噂の立山連峰は1ミリも拝めなかった。タクシーの運転手さんが「天気が良ければ見えるわけでもなくて、気候条件が整う日は年間でもたくさんではなくてですね」と、控えめに教えてくれた。路面電車やバスに乗ると、車掌さんがとてもやさしかった。道が海外みたいにひろくて、美術館が素敵で、公園が広大だった。
「また富山にいくんだよね」と人に言うと「なにがそんなに魅力なの?」と何人かに聞かれた。確かに、半年ほどで再訪するのだから聞かれて当然といえば、当然だった。「それがよくわからないんだけど、なんか家族みんな富山が好きになっちゃって、その答えを探しにいくの」と答えたが、本当にそんな旅となった。
富山県のきときと空港のチケットは取れなかったので、石川県の小松空港に降り立ち、レンタカーで富山へ移動した。高速を降りて走っていると県営の公園や動物園などが見えた。駐車場にはたくさんの車が停まっていたからきっと気持ちのいい場所なのだろう。スケールが広大で、海外にいったときなんかにおもうような、広いっていいよなーという気持ちに包まれながら、車から風景を眺めていた。前回訪れてかなり気に入った富山県美術館も、世界一美しいと言われるスタバのある冠水公園も、ゆったりとしていて、富山は空がひろいから、息を吸っているだけでも気持ちがいい。前回1ミリも拝むことのできなかった立山連峰、今回はこれでもかと言うくらいに眺めることができた。娘が「前回ははかわいいっておもったけれど、今回の富山は、かっこういいね」といったときには、よくぞこの気持ちを代弁して表現してくれたと、抱きしめたいくらいだった。「かわいくて格好いいなんて最強だし、格好いい人はまだまだ格好いい姿を見せてくれるものだよ」と娘にいった。そして、それは事実だった。
富山との出会いをうんでくれた『HUTTE』というセレクトショップを営む浅野さんには、本当に本当にお世話になった。日頃から愛しておられるのだろうとおもう大切な場所を、いくつもシェアしてくださった。朝ごはんを食べ、夜ごはんも食べ、みんなでたくさん笑ってのんで、たからもののような時間は両手からこぼれ落ちそうなくらい。

椎名林檎の曲で「ありあまる富」という大好きな曲がある。朝にひとりで散歩をしているとき、イヤフォンからずっとリピート再生して聴いていた。ギターのイントロがやさしくロマンティックで、BGMにはあまりにもピッタリだった。ふと振り返ったとき、道路を横切るときに不意に視界に飛び込んでくる山々に触れると、あまりの美しさに胸が詰まるような、詰まった胸に風が吹き抜けるような、ほんとうに不思議な感覚を、何度も、何度も覚えた。歌詞の中に

僕らが手にしている富は見えないよ
彼らは奪えなしいし、壊すこともできない
僕らは数えないし、無くすこともない

と言うフレーズがあるのだが、この楽曲は富山のために書いたのではないかとおもうくらいに、言葉のひとつひとつが、富山という土地にしっくりくる。桜もみてみたいし、遊覧船にも乗りたいし、紅葉も見たいし、トロッコにも乗りたいし、香箱(こうばこ)カニも食べたいけれど、大雪もみてみたいねえと家族で話していたら、「富山は、一度ではみせてくれないねえ!」と娘がいった。「ママ、それってあざといってこと?」と聞いてきた。最近のティーンは、あざと可愛いとか、あざといと言う言葉をよく使う。「一度で見せちゃうほうがあざといんじゃない? 自然はそんなに都合よくいかないからね」と言うと、娘はすごく納得したような表情を浮かべた。どうしてこんなに富山を好きになったのだろう。まだまだ、それをうまく言葉にできない。もっとたくさんの表情を見たいし、全ての季節の時を、一緒に刻みたい。もしかしたら、こういう気持ちを、愛とか恋とか、呼ぶのかもしれない。