生まれ育ったのは高田馬場という街。駅からほんのすこし坂をのぼった、歩いて7〜8分くらいの場所。学生街でしょ、住むとこあるの? となんども聞かれてきたが、幼い頃は本屋も肉屋も花屋もあり、スーパーも普通にあった。時代の移り変わりで個人店はどんどんなくなってしまったけれど、そんな中でも健在なのは(たぶん今も)豆腐屋だった。
わたしの父は、今でいう「食育」にはめちゃくちゃ熱心だった。父が食べさせてくれるもの、父の言う「美味(びみ)だろう〜」は、確かに美味しいものばかりだった。服や靴や車はイタリー(こう言うのだ)一択だったが、食だけは違って、朝も夜も和食を好んだ。海苔は<山本山>の味付けじゃなくて焼き海苔が好きとか、鮭の瓶詰めは<加島屋>で、ハラスの粕漬けは四谷の<魚久>の切り落としが好きとか、書くとキリがないがとにかく食いしん坊で、美味しいことにこだわりまくっていた。日本橋の高島屋と、ロイヤルパークホテル(こっちはソーセージやハム、デニッシュ系のパンを好んでいた)をこよなく愛していたので、よく立ち寄っては、美味しいものをしこたま買い込み、たくさん食べさせてくれた。薔薇の花が描かれた高島屋の紙袋、ピンクのチューリップのようなお花が描かれたロイヤルパークホテルの紙袋をぶら下げた父が車から降りてくると、「わー、なんだろ!」なんておもったものだった。鮮魚は通勤途中の道で見つけて以来、早稲田の魚屋を信頼してずっと通っていた。鮮度を保つために車のトランクにはコールマンのちいさなクーラーバッグを入れて通勤していて、直前で刺身などを買って帰宅。で、毎晩ながい晩酌がはじまる。
そして豆腐です。豆腐は近所の豆腐屋を贔屓(ひいき)にしており、わたしは母に頼まれて、よくおつかいへいったものだ。リクエストは圧倒的に絹どうふで、たまに豆乳をかった。数年前、実家をでて何年もたったある日、たまたまお豆腐屋の前を通ったときのことだ。あの当時と、そうおおきく変わらない、当時から美肌だったあのおじちゃんが、相変わらずに豆腐屋に立っているではないか。肘までまくった袖、冷たい水にさらされた赤い手のひら。当時から時が止まっているかのようで、びっくりした。どんな広告よりも、ダイズイソフラボンのパワーを感じずにはいられなかったわたしだ。
前置きが長くなってしまったけれど、今、わたしはあの日の父のように豆腐屋に夢中なのである。きっかけは、「生おから」というものに興味があり、歩いて行けなくはない場所に豆腐屋があったことを思い出して出向いたことだった。その日、切り落としの油揚げも一緒に買ったのだが、とにかくどちらもが衝撃的に美味しかったからだ。「えー!」とおもい、以来凝り性なので頻繁に再訪している。昨日もいった、今日も行くかも。だってあんまり日持ちがしないのだ。「フードスロスコーナー」というのがあって、いくと大抵いつも、何者かがそこに鎮座している。今日までの命のものもいくつかあるので、食べられる分だけ選んで連れて帰ることも。好きになると全メニュー制覇したい熱狂的なタイプのわたしなのだが、今、めっちゃはまっているのががんもどきなんです。ごぼう、しらす、しょうが、などなど色々あって、トースターで焼いて生姜醤油で食べる。「えー、ふわふわ〜!」となって、ビールや燗酒を呑む。日本人でよかったなー。ファッションやアートはアメリカが大好きなわたしで、昔はハンバーガーとかも大好物だったけれど、年々日本食が好きになってきた。皆さもぜひ、騙されたとおもって近所の豆腐屋へ。豆腐もさることながら、揚げ物にも挑戦してみてください。飛ぶぞ。