湘南で知り合って仲間になったひとり、兵庫県出身のMちゃんに「わたしは東京から湘南に移住してきから…」みたいな会話をしていたときのことだ。「みもちゃん、その距離は移住とはいわないよ」と笑われたことがある。その場にいた大阪出身の夫も、「そうだよ」と笑っていた。Mちゃんと夫は関西人同士なので、いつもウマがあう。
ふたりには申し訳ないが、わたしはやっぱり「遠いところにきたじぶん」が、払拭できずにいる。東京で育った人は、ちょっとの距離をとおいと感じる傾向がつよい。都内に住んでいたころ、友人と「Suicaの減りがはやい!」とはなすことがあったが、それは500円を超えるほどの距離にあそびにいったときに、どちらともなくでてくる会話だった。それだけあまり遠くに移動していなかったのだろう。電車を乗り換えることはもう遠出で、高田馬場に住んでいた頃は、新宿で乗り換えて信濃町などはもう遠い。たとえ同じ新宿区であっても。渋谷から東横線なんて日には、横浜に小旅行くらいのテンションだった。家族で東京を離れたのはわたしだけなのもあって、家族からは「遠いから小包をおくる」とか「グリーン車に乗らないと」とか、ものすごくとおくに嫁いだ娘扱いだった。今もそう。
で、昨日。湘南に暮らしていると、東京はちかいようで遠く、遠いようで結構ちかい。難しいのはスケジュールで、特に都内に両親がいる場合はなおのこと。年老いた親に会いにいく目的がメインであっても、そのついでに仕入れをして買い物をしてあの店でビールを飲んで…とついつい詰め込んでしまう。で、結局ひとつくらいしか達成しない。昨日もそうだった。まず母に会いにいき、夏服にどうかなと涼しげなパンツを買って、丈を6センチつめたものを持っていった。着てもらうとぴったり。トップスは数日前に姉が買ってきてくれたらしい、ブルーのカットソー。鏡の前で「ママはこういう色が好きなの。海みたいなブルーですてきね」と言い、前から横から、しばらく自分の姿を眺めていた。差し入れをしたプリンやカフェラテを飲みながらはなす。終始うれしそうな母を見ていたら、もはや他の予定などどうでも良くなってしまった。
いっときは、今年の春から家族で別の土地に移住計画を企てていたわけだけれど、つくづく時期尚早であった。こんな時間をみずから手放そうとしていたのかと、踏みとどまれてよかったと心の底からおもった。何をそんなに急いでいたのか。土地も夢も、縁があれば逃げないから大丈夫なのに、とても慌てていたのだろう。いつでもスロウペースで微笑みを絶やさない母をみていると、そのようなことを素直におもう自分がいる。鹿児島から東京に嫁いできた母はそれこそ移住者だった。頼れる両親も兄弟もそばにおらず、四人の子育てをするのは大変だったはずだけれど、母はいつでもキレイにメイクをしておしゃれをし、優しかった。褒めて褒めて、ただただ褒めて育ててくれた。今はすっかりおばあちゃんになった母だけれど、あの頃と変わらずに、褒めてくれる。とおかったでしょう、電車はすわれた? おようふくの色合いがキレイね、48歳!嘘でしょう? わかーい!、 昔から頑張り屋さんだった、手先が器用、こんがりと日焼けしていい感じね、ただただ褒めてくれる。すこしづつ記憶の断片を置き忘れたり、またそれを拾っては宝物のように眺めている。寄せては返す波打ち際のような時間。微笑みを絶やさずに水平線を眺め、砂浜に埋もれていく足をしっかりと踏ん張って、ゆっくりと生きている母。わたしは母がだいすき。シー・イズ・ビューティフルでもカインドネスでもあるけれど、そのどれもがしっくりこなくて、ユー・アー・ソー・キューリアスというニュアンスがちかい。電車に揺られて向かうあいだ、なんて言ってくれるかなとか、よろこんでくれるかなとか、そんな気持ちを両手いっぱいにたずさえていつも、母に会いにいく。