鎌倉の山側に住むママ友の家までは、平坦な道をひたすらに走って自転車で20分ほど、いやもうすこしかかるかもしれない。とくに訳も理由もないが、一年や二年としばらく連絡をとらない期間があったり、会い始めると頻繁に呑んだりする、そういう間柄。気分屋なわたしにはありがたく、自由を愛する彼女にとってもほどよいはずで、そんな関係も10年以上が過ぎた。保育園の入園前、見学会のときに彼女をみかけた。その日はおおき目な赤いニットを着ていて、カジュアルだけれどセンスの良さそうな人だなというのが第一印象。お遊戯会などをみていた時の、人前での振る舞いを見ていて「きっと気が合うはず」と思い、帰りがけに声をかけて連絡先を交換した。その後しばらく連絡はしなかったが、やがておなじ保育園になり、娘同士のお誕生日が二日違いであることなども相まって、つかずはなれず、以来家族ぐるみでずっと仲良し。
昨日は彼女の友人で占星術をしている人がいるとかで、その人にみてもらおう、という日だった。料理人で後輩のめぐちゃんも一緒に。オープンに、みんなでワイワイみてもらったので、特徴、個性などが丸出しで涙を流す大爆笑だった。いろいろウケたが、わたしは常識の概念が欠落していて、とにかく無駄なことがきらいな人、ということだけはわかった。言われるまで自覚がなかったが、確かに口癖のように、それは無駄、だって時間の無駄だから、お互いに無駄なの、誰も得をしない、など無意識に「無駄」という言葉を連発していることに気がついた。こわーい!(涙)。 なのに買い物が好きな性分で、たびたび無駄使いをしているらしく、お金を稼いでは使う人生らしい。「父のことですか?」と聞き返したかったが、私のことだった。かなしみ。わたしは父といろいろな気質、性質が類似していることもわかった。今では大好きな父だけれど、そうおもえるまで長かったのは、鏡をみていたからということになる。パパ、キツく当たったりしてごめんね。でも、言われるだけのことをしてたよね、なんていまだにおもうことはおもう。かぞくみんなから、ちょいちょい叱られていた大黒柱。でももう、今はすべて超越して、オレ様スタイルだった父を心から尊敬していて、感謝しかない。はかりの針がおもいっきり振り切れていた父。オートマティックで、後(あと)に続くであろうわたし。
終わって鎌倉のイタリアンへ移動し、乾杯。ビール、スプマンテ、白ワイン。笑ったり本音をもらしたりして、いい時間。途中、「サルシッチャたべたい」なんてオシャレなことを言い合っている二人に、「サルシッチャってなに?」とわたし。「ミモさん、サルシッチャはハーブやスパイスなどを練り込んだお肉のことで…」とめぐちゃんがわかりやすく教えてくれた。いい勉強になった。運ばれてきたサルシッチャは、口に含んで噛むと確かに、そのままのお肉とは香りも味もちがった。昨日は一日遊んだので、今日は二日分がんばろう。みなさまも、どうぞ良い週末を。