レンバイ勤務がはじまってから、一週間がやたらとはやい。思い返せば週5日、おなじ場所に通いで働くことは、30代前半の時以来。リーマンショックで派遣切りにあうまで、5年弱、都内で外資系O Lをしていた。週に5日通いで働くなんてもう無理だろう、需要も体力も気力もない。無理に違いないとおもっていたじぶんにとって、自信をもらうような経験を重ねている。会社員、正確にはオフィスで働くレディに憧れを抱いていた。実際に何社か経験もしたけれど、いつもどうしても数年で行き詰まっては、人ができることができないじぶんに傷ついて、うらやんだり、ひねくれたり、会社員なんてと暴言のような愚痴を吐いたりを繰り返してきたが、いよいよあきらめがついてきた。ちいさな店で、ひとりで働くことなら細く長くできるかもしれない、そうおもえてきたから。SAUCEにやってくる友人・知人が口を揃えていう「ぴったりだね」を聞くたびに、まわりからみたら何年も前からそう見えていたのかもしれないことを、自分の中に探すことができなかった。いつも、遠くの景色を見ていたから。歩いているのになぜかたどり着けない、そういう景色を眺めていた。「あきらめる」、という言葉は一見後ろ向きだけれど、終わらせることは同時にはじまりでもあるから、下を向いた言葉ではなく、あんがい前を向いた言葉なのかもしれない。
ここ数週間、娘がわたしのブログ(2008年から2015年にかけて綴っていたもの)を熱心に読み込んでいる。自分の生まれる前の両親(わたしと夫)のこと、自分が生まれてからのことなど、興味深い様子だ。一緒になって読み返してみると、書き残さなければ忘れている日々のささいなことに、「へえ!へえ〜!」を連発。その中のある日の日記に、父のことを書いた日のブログがあった。稚拙な文章でさすがにおののくが、2009年当時の自分にはこれが精一杯だったのだろう。以下にその文章をのせる。
2009年5月13日
昨晩は東京の実家に泊まりました。私の父はジャズが大好きで、レコードコレクターなのです。そのため、かつての私の部屋は、今では父のレコード部屋と化しております。私はあまり音楽に詳しくないので、当然ジャズも詳しくないです。写真は、今朝私の部屋においてあったレコードのジャケット。単純に可愛いなあと思って、父に「これ、かけてみて」とお願いしました。父は「これはモダンジャズだぞ。うちでモダンジャズが分かるのはパパとミキだけ」と、次女の姉の名前を出しながらレコードをかけてくれました。(次女のほうの姉は、父と同じくジャズをはじめ、音楽が大好きなのです。)
そのまま部屋から去るのかなあと思ったら、ドアを出たあたりでうろちょろしていてます。もう1度部屋に入ってきて、「ジャズはもう少し大きな音で聴かないとね」と言って、ボリュームを上げつつ、凄く嬉しそうです。「いい曲だね」と私が言うと、「『Taking a Chance on Love』、スタンダードナンバーね」と、相当得意げな表情でした。そして唐突に、「パパの髪を切ってよ。襟足が長くなって気になるんだよ」と言いました。
実家に住んでいた頃、時々父に頼まれて髪の毛を切っていました。久しぶりに切ってみるかと、洗面所で父の髪の毛をカットしました。私の部屋から流れるジャズを聞きつつ、洗面所で髪を切ってもらっている父はご満悦でした。
とあった。15年の月日が流れ、お互いに歳をとり、父がじぶんでレコードに針を落とすことは難しくなり、代わりに今は、わたしが父に会いにいくとレコードに針を落とし、ジャズを流している、父のために。今になってわかったが、あの日父がかけてくれた”Taking a Chance on Love”という曲はレコードの1曲目ではなく、3曲目だった。なぜその曲を選んだのか、どんなふうにドアの前で耳をすましていたのか、娘がジャズをかけてみてと言ってきたことがどれだけ嬉しくて、ついつい「髪を切ってよ」と口からこぼれてきたのか、今ならだいぶ想像ができる。それはわたしが親になったからなのか、歳をとったからなのか。あるいは、父がそんな仕草をとることも、たわいもない会話を交わすこともできなくなったからなのかは、よくわからない。もうすぐ12歳になる娘のおかげで、思いがけずに昔の父に再会できたようでとてもうれしい。きっと、今日のこの言葉のかけらたちも、懐かしむ日がくるのだろう。そうして、わたしたちは今を過去に、未来をも過去に変えてゆく。