35歳で娘を産んだとき、ある人に言われたことがある。「ことりちゃん、10年はくそみそになって子育てするのよ。オムツ変えたりさ。わたしだってそうだったんだから」と。湘南のおねえさんと慕っている一人のKさんは、乳飲み子を抱えて家族でアメリカに引っ越しをしたり、さらにアメリカ滞在中に駐在員だった旦那様が転職をし、アメリカ国内を西に東に大移動と(行き先をサイコロで決めたと言っていた)、大変に愉快なファミリー。出会ったのは湘南だが、同じ東京生まれで、ハワイが大好き。気が合う人、大好きな人だ。家族はチームだとも、よく言っていた。
娘が10歳になり、Kさんが言っていた意味がわかった。格段に手がかからなくなった。それだけではなく、こどもが力になって助けてもくれる。彼女自身の世界や視野が広がったことも大きいと思うが、それに比例して親の世界もぐーんと広がる。とはいえ、まだまだ危なっかしいところもあるが、それはいくつになっても親が子を心配するたぐいのことだろう。
仕事に関しても、10年一区切りだと近頃おもう。タイパンツを縫い始めたのが2009年。一人で展示を始めたのが2011年。今年になってやっと、本当にやっと、うっすらと光明が差してきた。急いで先をゆく人、トランポリンのように大きく跳ねる人、誰かを踏み台にする人、すり寄ってくる人、価値がないとわかるとさっさといなくなる人、いろんな人をみた。30代はそんなことがずっとキツかった。怖かったし、悲しかった。反面、悔しくもあったし、情けなくもあったし、それは全て自分のせいだと思っていた。落ち込むこと、悲観することは密のように甘くて楽で、たくさんの時間をひとりで過ごした。そんな自分を、いつも厳しく律してくれたのが夫だった。
「ミモちゃんはタイパンツ以外に誇れることがなにもないんだから。せめてこれぐらい頑張らないと」、「続けないとダメだよ」、「何枚縫ったの?」、「少ないね。サボっているのが見てすぐわかる」、「ミシンを新調してはどうか」、「こんないい道具があったよ」など、あらゆる角度から叱咤してくれた。注意されるたび、口うるさくて大嫌いだと思った。痛いとこををついてくるから面倒臭い人だと、いつも、いつでも思っていた。夫がいなかったらきっと、楽な方、楽な方に流されていただろう。
今年、ここ数年何度も挑戦しては落選していた、国の事業支援の補助がおりた。そのおかげでずっと欲しいと思っていた職業用ミシンのテーブルと、業務用スチームアイロンを導入することができた。ウェブサイトも、やっとつくることができた。まだ書けないが、他にも新しい事業に着手している。決断は怖いし、覚悟には勇気がいる。ふりかえるとひとりでは歩けなかったような道を、夫が導いてくれたのかもしれない。最近は娘も、わたしの仕事を叱咤激励してくれる。パパ譲りで口うるさいが、ありがたい存在だ。
10年は子育て優先、体力優先と決めていたわたし。ここからは、そろそろ役割をバトンタッチしたい。夫には夫のやるべきことがあるのだ。わたしにはわかる。じぶんのことは、じぶんよりも他人の方がよくわかるものなのだろう。やりたいことをやってほしい。正確には、やるべきことをやってほしい。天命は、じぶんの幸せだけではないのだ。その先に、待っている人がいることを言う。決断は怖いし、覚悟には勇気がいる。それでも、船を海原に浮かべてほしい。うまくいく補償も保険もないんだよ。それでいいんだよ。人生はずっと、冒険という名の賭けなのだから。