仕事を一切からめず、純粋な夏休みで奄美大島へいってきた。いつか必ずと思っていた奄美、ついに足を運ぶ時がきた。一言でいうと、「なぜ今まで来なかったのだろう?」というくらいに素晴らしい島だった。自分の中の何かが、コーリングされて、閉じていたものがひらくような感じ。これまでもたくさん旅をしたけれど、灯台下暗しだった。植物のグリーンはハワイのカウアイ島みたいで、国道は昔の鹿児島みたいで、ビーチサイドはちょっぴりハワイ島のコナにも似ていた。波乗りができて、素潜りができて、船での移動が盛んな島。現在を含めて、人生後半はマンションで暮らしながら、老後は船暮らしをすると決めていたが、この島で小さな平家を建てて生涯を終えてみたいと、ふと思った。そのくらい素晴らしかった。
2012年に生まれた娘も、この10年でそこそこ旅をしている。ハワイ、鹿児島、宮崎、種子島、バンコク、旭川、札幌、福岡、糸島、大阪、京都、名古屋、伊勢、黒磯(他にもあるかもしれないが忘れた)など。中でも奄美大島はよほど響いたのか、「感動して泣いちゃった」と夜にホテルで涙を流していた。天の川、海を泳ぐ亀、人の優しさ、何にそこまで感動したのか、本当の本当は彼女にしかわからないけれど。
普段はあまり語らないが、わたし自身はタイパンツ作家と、文章を書くこと、加えてアウトドアのリペアマンとして、三足のわらじを脱いだり履いたりしている。詳しくは書かないが、今年は仕事で色々なことが度重なって、さすがに心がすり減ってしまい、ペースダウンをしないとまずいなと決断したところ。そんなタイミングで、奄美大島の旅行をブッキングしていた自分を褒めてあげたいくらいに、タイムリーな旅だった。
今、46歳。働き盛りだし、そこそこ健康。夫、52歳。同じく働き盛り。ガラスの膝とか腰とか笑いつつも、そこそこ健康。幸せなこと。だけれど、見て見ぬふりで目をつむっていること、心に引っかかったままのトゲのようなものを、この旅で色々考えた。というか、考えさせられた。人生後半の命、時間を、どんなふうに過ごしたい? それは誰のために? わたしのために。正確には、わたしと夫のために。
娘はあと10年も一緒に過ごさない可能性も、高いだろう。住みたい場所、学びたい土地、歩きたい道、自分の人生を描(えが)いたらいい。そうなると、わたしと夫はいずれ元の二人組に戻る。その時、今と同じように健康なのかな。ガラスの膝って笑えるのかな。そんなことをこの旅で何度も思った。せっかく出会えた貴重なパートナーと、まだまだやりたいことがあるし、「いつか」なんて言っていてはきっとtoo lateになる。母との時間もそう。父との時間もそう。未来のわたしが「もっとこうすれば良かった」と言わずに、「パパママ、ありがとう。またね!」と泣きながら笑えるように、今できることを今する。わたしには、過去も未来も存在しない。今しかないのだ。今の繰り返しが、わたしをつくるのだから。