親の用事で吉祥寺へ。介護や親のサポートの話を振り返る友人・知人の話を聞くと、「後悔」というワードをよく耳にする。もっとこうしたらよかったとか、良かれと思ったことがそうじゃなかったなど、あらゆる種類の後悔が存在するみたいだ。親になったいま、娘に心の底から願うが「失敗はしてもいいけれど、後悔は必要ないよ」、ということ。いつかわたしがボケた時、どうか娘がそんなふうなことで心を痛めませんように。そういうことを、わたしは一番望まない。
母が今のわたしくらいの年齢のとき、鹿児島に住む母の兄弟から電話がきた。電話口の母は「えっ!!!!!!」と言って、しばらく神妙な面持ちのまま話をしてから電話を切ったあと、子供のようにわんわんと泣いた。「どうしたの?」と聞いても「なんでもない」と。なんでもないのは一目瞭然だったが、その時はそれ以上追求しなかった。後でわかったが、祖父が病を患っていることを知った瞬間だったみたいだ。母は、特べつにお父さん子だった。電話があった翌日か翌々日くらいには、母は夫も子どもも置いて、すぐに鹿児島に飛んだ。祖母が病を患った時も、そうだった。その時々で子どもが受験生だったときもあったし、「夫や子供のご飯はどうしよう?」 みたいなことを考えられなくもなかったが、母の頭には一切なかった。祖父母の看病のため数ヶ月間母が不在、みたいなことは割とあった。そして、実際には母がいなくても暮らしはなんとかなるものだった。母は、このときのことをいつも感謝してくれる。子供にもだが、特に、夫である私の父に対して。「パパは何にもいわないで『行ってこいよ』っていってくれたから」と。
父は子供の進学に対しても、海外旅行に対しても、習い事でも、なんでもそうだった。この学校に進学したい、アメリカ行ってみたい等と言うと「いけよ、いきたいんだろ?」でおしまい。話が早い。心配とか、アドバイスとか一切ない。テキトー人間なのかしら? と思っていたが、今思うと、ああいうことはなかなか容易にできない。経済力ももちろんだが、相手の自由を奪わないためには、己の懐が深くないとできないから。年々父の凄さに気づいてきて、なんだか悔しい。「ジャズなんて意味わからないし、ビル・エヴァンスなんて死んでも聞かない!」と反抗心丸出しのわたしだったが、今朝はなんとなくジャズ。何曲も耳が覚えているのは、ドライブでよく父がかけていたから。『パパは「いい人」が口癖で、プレゼント魔で、みもちゃんはパパにそっくり」と、前に母が言っていた。嬉しいのかな? 今は前よりも、少しだけ嬉しいような気がする。