沼津で『Senbon Flowers MIDORIYA』という花屋を営む岩﨑有加(いわさき・ゆか)さんという人がいる。先輩に紹介していただき知り合って以来、ずっと好き。憧れもあるし、尊敬もある。文章、花、着ているお洋服、選ぶ言葉、笑わせるタイミング、才能の塊みたいな人。一見取っ付きにくい夫のことを、なぜか最初から割とおもしろがってくれて、好意的に接してくれた岩﨑さん。呑みながら、同級生だとわかって以来夫と岩崎さんはグッと親近感が増したようで、なんだか仲が良い。
そんな岩﨑さんに会いたくて、たまーに家族で沼津に足を運ぶ。去年のことだったか、夫と娘とわたしと岩﨑さん、四人でビアパブで呑んでいた時のことだ。こちらはソファ席で盛り上がっていた。その側のカウンターで、ひとりで呑んでいた紫のニットを着た男性が突然、「さみしいんだよう〜」と言いながら、雪崩れ込んできた。びっくりしたわたしは、隣に座っていた娘の前を横切って真っ先に避難。娘、ママに続いて避難。変な人がきた!という危険センサーが発令するとタッチアンドゴーで逃げ足の早いわたしなのだが、夫と岩﨑さんは違った。その男性を左右から囲み、肩をぽんぽんして「どうした、どうした〜」と言って、一緒にカウンターに移動した。二人は、男性の左右の席に腰を下ろし、それからしばらく男性の四方山話を聞いてあげていた。結局、男性の奥様がお店にお迎えにきてくれたのだが(毎回そのパターンのようです)、男性が店を出るまで、ふたりはずっとその人に付き合ってあげていたのだ。あの晩のことは、今でもわたしたちの中で『おもしろ珍事件』(娘は『むらさきおじさん事件』と呼んでいる)として語り継がれている。
あの日以来、『さびしさ』について考えるようになった。言葉の意味を調べてみると『いるはずの人・あるはずの物がなくて満たされない気持ち(情緒的)』、また『人の気配がなくひっそりしている(客観的)』とあった。怒り、悲しみ、失望、持ちたくない感情はたくさんあるが、一番持ちたくないのはもしかしたら『さびしい』気持ちかもしれない。世の中からさびしさが消えたら、犯罪とか、事件とか、たくさん減るような気さえする。さみしさをあなどらないこと。備忘録としてここに記す。