娘は今日から学校の課外授業でキャンプ。日課のラジオ体操をはさみながらお弁当をつくり、無事に送り出したところ。
先にお知らせしましたが、ウェブサイトのクローズにともない今日でこちらのブログの更新はおしまい。これまで読んでくださって、ありがとうございました。「読んでます」と言われると励みになりました。アーカイブを残すべく、昨日からアナログで別のプラットホームにコピペ作業をしております。最初のほうの文章など、読んでいるとまあひどい! 今もひどいけれど。結局、さらけ出してみがいていくしか、ものづくりの道はないんですよね。タイパンツもおなじで、初代のものなんて見ると心から反省します。今の作品もきっと、未来の自分はそうおもうでしょう。そうおもえないとそれはそれで成長がないわけで、あぐらをかくことなく、謙虚に、いいバランスで自分を信じていきたいです。
2000年くらいから普及しはじめたと記憶していますが、20代の頃からブログ(weblogの略)というものが好きでした。読むのも書くのも好きで、知らない人のブログの更新を楽しみに読んでいて、それがきっかけでおともだちになった人も何人かいます。総じて、顔と名前を出している人でした。例えば詩人の村椿菜文(むらつばき・なあや)さん、湘南ビーチFMの竹下由起(たけした・ゆき)さん、種子島の<おひさまコーヒー>店主の原真知子(はら・まちこ)さん、美術作家の永井宏(ながい・ひろし)さんなど。
「声に出して読めないものは書かない方がいい」、師匠は生前そう言っていました。それはきっと言葉にたいする責任であり、インターネット上で顔と名前を出して表現するのもおなじことだと、私は思っています。こういう活動をしていると、時々「イベントに出ませんか?」というDMがインスタグラムに来ます。ありがたい一方で顔も知らない相手で、イベント名や出店料などは書いてあるけれど、差出人の名前は書かれていない。誰だのだろう。この人は私のタイパンツを見たことがあるのだろうか、値段を知っているのだろうか。この人はどんな空間で、どういう風景を美しいとおもい、どういう表現をしたい人なのか。そんな気持ちになったことが何度もありました。お断りをしてきたのは、やはり自分は自分の作品や表現の仕方に責任を持ちたいからで、違和感を感じたときは「慌てない、焦らない、基本に立ち返る」、という気持ちで今日までやってきたようにおもいます。
私たちはみんな、生まれて最初に授けられるものが名前で、肉体を持って生まれてきますよね。目で風景を見つめ、匂いや音や温度を感じ、やがて、言葉を知ってゆく。どんなふうに考えて、工夫して、伝えて、生きて、死んでいくか。人生って、複雑なようで単純で、長いようで短いんですよね。奇跡のような時間旅行の中で、喜びや悲しみや痛みを分かち合いながら生きてくとき、やっぱりわたしは相手の顔を見たい。声を聞きたいし、名前を呼び合いたい。これから先にやりたいと考えているのはそういうことで、もっと小さく、もっとわかりやすく、もっと安心できることを目指して、自分の表現を届けていきたいと思っています。皆さんの今日もわたしの今日も、変わらずに平穏で、平凡でありますように。 2026年4月23日 終わりに寄せて 小鳥美茂