母に会いにゆく。施設のダイニングスペースをお借りして一緒にお昼をいただくべく、早い時間に家を出た。陽射しが強かったのでパナマ帽子をかぶっていく。母に会うと「我が家でお帽子が好きなのは、パパとみもちゃんね」と言った。嬉しそうに、そう言った。最近の仕事の話などを報告していて「どんなちいさなお仕事も、とりこぼさずにひろっておりますから」とふざけていうと、その姿勢が大事だと褒めてくれた。「パパもあのキャラクターだから、どこにでも入り込んで『その仕事、僕にやらせて!』なんてよく言っていたわ」と言って、ふふふ、とちいさく笑った。父の話をするときの母はいつも、体をくすぐられて笑うみたいな、愉快な雰囲気を湛(たた)えている。母にとって私は父によく似ているそうで、とくに父方の祖母(父のお母様)にそっくりなのだと、いつもいう。背の小ささ、左利きなところ、明るいところ、働き者な人で、とっても優しい人だったと、いつもおなじことを言う。人に紹介をするとき「娘です」と言ってくれるのが嬉しかったらしい。名前にさんをつけて呼んでくれて、お寝坊しても怒らなかったとも言っていた。新居が見つかるまでは父の実家にいたようで、朝は祖母が軒先を箒(ほうき)ではく音でよく目が覚めていたそうだ。ママ、それは典型的なダメ嫁ではないか・・・。母はのび太くんのようによく寝る人なのだ。
祖母の葬儀には、「よくしてもらった、優しくしてもらった」と、割烹着を着たままのお婆さんや、杖をついたぜんぜん知らないお婆さんなども次々とやってきたそう。一千人近い参列者がきて、家族みんなで驚いたのだと、昔からよく聞かされた。当時としてはめずらしく40歳を過ぎてから産まれた末っ子の父で、さらにその末っ子の私は、当然だが祖母を知らない。けれど、その血が流れているんだとおもうと話を聞くたびに嬉しい。
ランチの後に母と少しお散歩をして、次は父のいる施設へ。お昼寝前でタイミングよく起きていたので、昨日は<タル・ファーロウ>の『ロマンチックじゃない』を流した。今度、日本橋に日本酒呑みにいくんだよというと、「いいなあ、何人ぐらいで?」と聞いてきた。会話が絶好調の日もあればそうじゃない日もあって、昨日は絶好調の日だった。両親の写真や動画をとって、兄弟にシェア。またくるね、とバイバイして、そこからはバスで新宿広小路まで。
6月下旬で閉店する<DUG>。混んでいるかなとおもったが、タイミングよく入れた。その後次々にお客さんはやってきて、途中並んだり待ったりする階段を眺める席で、ハーフアンドハーフ。店にはビル・エヴァンスのライブ版と思しきレコードが流れていた。途中、隣の席にやってきた三人組の年配の方の会話が、聞くともなく耳に入ってきた。あと一人は遅れてきて、4人になるようだった。女性が一人、あとは全員男性。女性は黒ビールを呑むという。隣の男性が「お茶にしようかなあ」と言った瞬間、女性が「え!」と強めにカットイン。「お紅茶にしようかな」と、おじさまがお上品な感じでふざけていうと「何飲むのよ、こんぶ茶でものむの!?」とさらに聞いていて、「ねえ、こんぶ茶のむの?」と二度も聞いていて、その圧の強さがおもしろくてクスッと笑った。おじさん2名は結局「普通のビールでおねがします」とオーダーしていた。何十年と常連さんなのがわかる感じだったのは、並ぶっていたけど並ばなかったねとか、あとでお店の前で記念撮影しようねとか、盛り上がっていたから。そうこうしていたら、おそらくオーナーからなのか、お店に電話がかかってきて、スタッフの女性が「⚪︎⚪︎(れいさんと言ったような?)さんからです」と、その方たちに子機を持ってきた。保留の解除の仕方が分からない感じとか、建築の話や、本の話や、あれこれずっと楽しげに語っていて、ああ、同世代の仲間って感じでいいなあとしみじみ、こっそり聞いていた。途中、ひとりのおじさんが、おばさんに借りていた本を返却していた。そのとき「しおり、手作りでつくったやついれといたよ」と渡していて、胸がキュンとした。ちらっと拝見したら、それは可愛く型抜きされたもので、おもわず「わあ・・・」と声が出そうだった。話かけたい〜!という気持ちを上から漬け物石でぎゅーっと押さえつけて、ずっと耳を傾けていた。
父と<DUG>にきたかった。けれど、無理なので心の中の父とエア乾杯して、隣の知らないおじさまおばさまと心の中でこっそり乾杯して、ハーフアンドハーフを二杯呑みほし、グラスを浮かせて濡れたコースターを手にしてレジへ。「さみしいけれどまた来ます、コースターいただきました」というと、「あたらしいのも持っていってください」と、マッチとセットでコースターも手渡してくれた。いいお店が街から消えていくのは本当に寂しい。人の命と同じくらいに寂しい。好きであれば、あるほどに。