夫が発熱し、ミシンの合間に病院へ送迎したりとバタバタの一日。娘が学校から帰ってくると、「熱だけど、(パパが)みんながおうちにいるのはいいね」と言った。そんなこと、いつまで言ってくれるのか。「クソジジイ」とか汚い、臭い、あっちいってまで、もうカウントダウンだぜ? とニヒルな笑みを浮かべている、クソババア予備軍のわたし。
家の近くに、ちいさな商店を兼ね備えた酒屋がある。一階が店で二階が住居の、昔ながらの店。店主の気が良くて、集まってくる客も老若男女皆がなんだかゆるくて良くて。娘は保育園児の頃、よく「あんなおみせとおうちがいい」とよく言っていた。核家族で、共働きで、通勤だとか在宅だとかオンラインだとか。それが当たり前の今で、あんな暮らしはもはや『贅沢』と呼ばれる類の幸せレベルな気がする。正直、すごく儲かっている感じも全然しないし、商品だってそんなに安い訳でもないけれど、いつでも気持ちよくお金を払うことができる店だ。代わりがいない仕事。
じぶんはどんな暮らしがしたいのだろう。誰と一緒に、どんな時間を、どんな労働を『仕事』と呼びたいのか。誇りを持って働けることは? そんなことをずっと考えている。お金が大好きだし、稼いだらパーっと使うたちなので、たくさん稼いだらたくさん遊べていいのだけれど、その質を問いたい。労働の時間があんまりにも疲弊していたり、心が満たされいないと、乱暴な消費だけが上回ってしまうから。そういう経験は、実際過去にある。お金を使うことで誰かに還元できたり、家族と楽しめたり、一人の時間を満喫したり、そういう質のいいお金の使い方、時間をなるべく多く持ちたい。どうしたらいいのかなと考えたとき、結局はどんなふうに働き、お金を得ているかに行き着く。お金は、労働時間の対価だから。自分にとっては、もっと真摯にミシンを踏むこと、丁寧に文章を書くことが、そこに繋がってくる。日々、そこを丁寧にやっていくこと。