昨日は低気圧の通過で波があがった。かといって寒いからまだ入らないのだが、豆腐屋と魚屋とスーパーから帰ってきたら、駐車場で海上がりの方に声をかけたれた。ときどきこのブログを読んでくれているとのことだった。嬉し恥ずかし、ありがとうございます。もう一人の方からは、インスタグラムに投稿したマドラスチェックの生地のシャツが気になっている、というようなことを言ってもらった。ああ、確かに似合いそうだなとおもった。肌の色と、髪の色。そうおもったのに言わなかったのは、その直前に男性から言われた「ブログを読んでます」で、うっかり恥ずかしくなってしまったから。普段どうしようもないことをありのままに書いているけれど、誰かが読んでいるという意識がだいぶ欠落している。格好つけずにさらけ出して書く、というのが文章の基本だとはおもっている。それはほんとうに。でも、「読んでます」と言われると、なんとなく照れる。なんの役に立っているんだろう、立っていないだろうな、とおもう。で、心の中でプッて吹き出して、逃げる。だからすぐに話題を変えちゃう。でも、表現は役にたつだけが全てではない。お時間を割いて読んでくださっていること、嬉しく思っています。ありがとうございます。皆さんも、パソコンに向かって、あるいは紙にペンで、何か書いてみてはいかがでしょうか。楽しいですよ。そうだ。昨日は郵便局にもいった。本が売れたので発送をした。本が売れるのはうれしい。ぜんぜん恥ずかしいってならない。なぜか、めっちゃ頑張って書いたから。重ね重ね、感謝であります。
干物生活にハマり、近所の魚屋に頻繁に通うようになってから、車でスーパーに行く回数が激減した。それは時間的にとても楽なことで、有り難くおもっている。娘がちいさなころは宅配の生協のサービスなどもお世話になっていたけれど、今はすっかり自由。そうして近所の小商いを眺めてみると、あの頃には見えなかったいろんなことに気が付く。
わたしが暮らす町には、魚屋のそばに、肉屋もある。ずっと夫婦お二人で切り盛りされていたが、ここ数ヶ月くらいだろうか、若い男性が一緒に店に立つようになった。絶対息子さんだなと思ったのは、顔がめちゃくちゃ似ていたからだった。店内はもともと清潔感があって揚げ物もおいしいので、時々だけど買っていた。先日も、楽をしようと揚げ物を買ってお支払いをしているときに、ふと中濃ソースが切れていることを思い出した。レジの横にあった、100円くらいのちいさなサイズのボトルを買おうとしたら「これだったら渡せるからどうぞ」と、使いきりのちいさなソースをつけてくれた。若い、息子さんがそう言った。なんて優しい人なんだ、と思った。実家に帰ってきたのかな、親の仕事を継ごうって思ったのえらいな、喧嘩とかしないのかな。応援したい。あれから色々おもうようになり、その日を境に、肉のほとんどはその肉屋で買っている。そう思うひとが多いのか、ここのところ心なしかいつも混んでいる。
肉屋の肉を食べて、違いに気づくことはおおい。見た目からして脂質が多いので、過去5年くらいはスーパーで豚のバラ肉を買ったことがなかった。が、先日肉屋で買ってお好み焼きに使ったバラ肉は、サラッとしていて脂質もなんだかしつこくなく、美味しかった。鶏、豚、合挽、すべての挽肉に関してはこれまでスーパーで買っていたものよりも圧倒的に脂質が少ない不思議。豚の小間切れもそうだった。我が家は最近お魚が多いので、お肉の登場回数が減ってきたけれど、お肉ってやっぱり美味しい〜と二割増くらいでおもっていただいている。
先日、ものすごく久しぶりに娘と肉屋へいった。横浜でたくさん歩いた日の帰り道だったので疲れ果てており、娘はガラスのショーケース横の椅子に腰掛けていた。買い物を済ませて歩いていたら「保育園の帰りによく寄ったよね。あの椅子に座ってさ、ガラスに顔がくっつきそうなくらいのぞきこんだことを思い出したよ」と娘が言った。その瞬間、うわーっと胸に迫るものがあった。すっかり忘れていたが、そんなことが、言われてみれば確かにあった。そして、「ガラスに触っちゃダメだよ!」とか言っていた、若かりし新米ママのじぶんも思い出した。わたしたち、どんなにか可愛かったでしょうね…..。じぶんの過去を回想して目を細めるという、新たな特技を見つけた今であります。
人生にはそれぞれのフェーズがあって、レイヤーがある。あんまり無理に、地産地消!とかできなくていい。わたしは基本がヘタレだし、性格もだいぶこじらせているので、「環境のため!」とか熱く言われると、うるせえなあとかおもってしまう。何も言わずに、家族を大切にしていて、お部屋をきれいにしていて、お花を活ける暮らしをしているような人の意見を聞きたいが、そういう人は大抵おもてに出ない。発信もしない。発言は自由だが、強要されたくないのだ。だから、声の大きな人からはさっさと逃げてしまう。環境も政治も、ぜんぶ自分で考えたらいいじゃん。なにごとも、その時々の自分の、家族のベストを探すのが本当に一番。買い物ひとつとっても、宅配がありがたい時代、スーパーに行けるようになる時代、地域に貢献する時代、時代を世代とも言い換えられるが、人はうつり変わる。「これって決めている!」というのもいいとおもうが、自分は移り変わることが得意だから、そっちを選ぶ。ときどきわたしは「賞味期限」という言葉をつかう。賞味期限が切れた恋、人付き合い、お店、お洋服、気付いたらそのままにしない。期限切れのままにしていると、お互いに腐っていくのがわかるから、ありがとうさようならってする。歳はとってもいいけれど、腐りたくはないのだ。
よくいくお豆腐屋さんには「フードロスコーナー」というのがあって、助けてください、今日までの命です、みたいに書かれてあって、わたしはいつもそこから選ぶことにしている。時間に自由のきく仕事だし、人ができないことをする方が、地域の役に立つかな、くらいに思っている。人と同じでなくていいのだ。自分にできることってなんだろうって、みんなが考えればきっと平和。その答えは、ぜったいにネットには書かれていない。あなたの、わたしの、暮らしの足元にきっとある。