昨日は夫の誕生日。チーズケーキとキャロットケーキが得意だが、ちょっとちがうものにも挑戦したい。どんなケーキを焼こうかなあと、ふと料理人のNさんに電話で相談。Nさんはレジェンドクラスの男性料理人で、数年前に仕事を通じで出会った。わたしも奇天烈だけれどNさんも相当にエキセントリックな人で、つまり、気が合う訳である。
Nさんが、ガトーショコラはどうですかという。簡単だから、と。シフォンケーキはどうおもいますか?と聞くと、それもわるくないですよ、と。生クリームを、グラニュー糖をつかってゆるめにホイップして、今ならイチゴが美味しいから、それとブルーベリーを混ぜて、半分は細かくソースにして、残りの半分は直前に刻んでそこに入れます。そのほうが色が綺麗だからです。最後にミントを飾れば、うつくしいです。あと、シフォン型じゃなくて、プリンのようなカップで焼いて、ラップよりも硬めの素材を巻いて、そこに生クリームを流して、直前に外すと流れるようになって美しいです、簡単ですよ、という。「どこがじゃい!」と思ったが、プロってそういうことなのだ。言われた通りのステップをなんとかこなして頑張ってみたが、確かにソースが決めてとなるような見た目と味になった。メインはハンバーグと、コーンスープ、トマトと新玉ねぎのサラダ、マッシュしたポテト、生ハムとチーズとバゲット。ビール、ワイン、シャンメリー、みんなが好きなものを好き勝手に呑んでお祝いした。いい夜だった。
連日のニュースでずっと心を痛めていたが、小さな命が失われてしまった。昨晩、西の空に手を合わせる気持ちで報道を見ていて、涙が頬を伝った。おおくの命が失われる戦争がくりかえされることに、いつの時代も賛成な人なんているわけがない。ひとつの命、それも小さな命が無残な形で光を閉じることだってそれとおなじで、決してあってはならない。どんな風に耳を傾け、どんな気持ちでテレビを見つめたらいいのか、言葉が心から失われていく。そのくらい、胸が痛い。この世にいる大人のひとりとして、とても辛い。
子どもって、未来なのだ。希望の塊みたいな存在。「そんなにふくらませたら、風船はじけちゃうよ!」って教えてあげたいくらいに、期待や夢や未来や憧れをつめて、なんだかいっつもパンパンにしている。本来、子どもってそういう存在なのだ。でも、風船がしぼんじゃっている子も、きっといる。膨らます力がないのか、空気が抜けてしまったのか。どうして気づいてあげられなかったんだろうとか、そんな種類の痛みが、まったく知らない子だけれど、ニュースを見てからずっとある。悲しいニュース、苦しい報道を見たとき、いつもマザーテレサの言葉を思い出す。「ゴー・ホーム・ラブ・ユア・ファミリー」と。それが一番の世界平和で、ひとりの力でできることって、そのくらいのことなのだろう。でも、みんながそうすれば、それは大きな平和に繋がってゆくから。慈(いつく)しむことしかできないけれど、慈しむことは愛しいことで、力強くて、たくましい。戦争反対だと遠くに叫ぶこともたしかに大事。わかっている。でもわたしは、その一歩前でまず、大好きだよって身近な人に伝えたい。ちいさな少年の命に、心からのご冥福をお祈りするとともに、家族の誕生日を祝えることに感謝したい。空が明るくなってきた。生きとし生けるもの、すべての命に光が注がれますように。太陽の陽射しが頭のてっぺんから足のつま先まで、キラキラと降り注ぎますように。